食堂に入ろうとして何となくタイミングを逃した天極は、騒いでいる子供たちに気づかれないように入り口の側で小さくなって中を窺う。

ここ最近、角宿の様子がどうもおかしい。仕事中に何だかぼんやり考え事をしていたり、弟たちと話していても上の空だったり。
極めつけは今、心火のココアを勝手に飲んで吹き出した。まさかの事態だ。

弟たちに察せられると無言で暴れそうだから黙っているが、妹に嫌われることを何より恐れている角宿が正気であれば絶対にしない失態と言ってもいい。
何かあったには違いないが何があったんだとひっそり見守っていると、がすっと膝の裏に衝撃を受けた。

「ぐはっ」

そこそこ痛かったぞと振り返るとそこには相変わらず笑顔の箕宿がいて、どうやら遠慮なく蹴飛ばしてきたらしい。おや頭領でしたかなんて空っ惚けた箕宿は謝る気配などなく、にこりと笑みを深めた。

「そんなところで突っ立っておられると邪魔且つ不気味なので、退いてください」

どれだけ身を縮込められようとそのでかい図体では隠しきれませんよとさらりと毒を吐かれ、親父を何だと思ってるんだこいつらはと目を据わらせる。しかし青龍の中でも比較的角宿と話す機会の多いこの息子ならば、何か知っているのかもしれないと期待して口を開く。

「角宿の様子がおかしいみてぇだが、何か知ってるか」
「ああ、そういうとここしばらく腑抜けてますね」

双子も構ってほしくて色々するせいで大惨事ですよと笑顔で答える箕宿に、それは色々止めろやと思わず頬を引き攣らせる。けれど面倒事は長兄の責任において片付けて頂く主義ですと言い切った箕宿は、少しばかり苦く笑って見上げてきた。

「そもそもそういうことは、俺ではなく本人に聞いてください。長兄が頼れるのは親父殿だけ、でし ょう?」

弟に弱味を見せる相手ですかと笑った箕宿が側を通り抜けて入っていくのを黙って見送り、天極はが りがりと後ろ頭をかいた。

「そりゃそうなんだがなぁ」

年近ぇほうがいいこともあるだろうにようと小さくぼやいた天極は、ふと思い立って年の差がどれだけだったかを指折り数える。もっと差があるように感じていたが実のところ一歳差しかない事実に気づき、それならやっぱり親の役目かぁっと頭を抱えたのは頭領の名誉のためにそっと秘しておく。



箕と交代してようやく自分の部屋に帰るところだった角は、廊下の途中でぬぼっと立っている天極を見つけて軽く眉を顰めた。
頭領が神妙な顔をしている時は碌なことがない、とこの船に乗ってからの経験が語る。

またぞろ心火を船から降ろすだのガグルに殴り込むだの言い出さないだろうなと警戒していると、目が合った天極は何だか下手くそに笑った。

「よう。少し付き合うか」

軽く持ち上げられたボトルは天極の取って置きで、何を言い出すのかと警戒度は上がる。それでも酒の魅力には逆らい難く、食堂ではなく自分の部屋に向かう天極の後に続きながら恐る恐る口を開いた。

「何かありましたか」

前を歩く馬鹿みたいに広い背中に尋ねるが、まぁいや何だ、ともごもごと濁される。嫌な予感しかしないと知らずこめかみを押さえるが、ここで踵を返したりすれば天極が独断で何かを推し進めかねない。
事前に知れば手の打ちようはあるはずだと馬鹿な発言に備えて心構えをしている間に辿り着き、久し く足を踏み入れていなかった頭領の私室に入る。

相変わらず雑然として物に溢れた印象を受けるが、大半は収穫した物や次の計画を立てるべく揃えた資料の類だ。よく見れば天極の私物は少なく、だからここに近寄らなくなったのだと思い出す。
いつ死んだところでさほどの未練が残らないよう、極力色んなものを切り捨てているようにしか見えない。

(この人を引き止められるのは、きっと天狼だけだ)

息子だ娘だと気前よく人を拾い続けているが、その誰も天極の庇護がいきなり剥ぎ取られたところでそれなりに暮らしていくことは可能だ。まだ幼い双子や心火にしても兄弟の誰かが必ず面倒を見ると分かっているなら、心残りというほどの重石にはなれない。

ふらふらと気儘に空を彷徨う蛇が唯一地上に降りるのは、いつだってそこにある星のためだけだった。

「何ぼさっと立ってんだ、座れ」
「ああ……、はい」

つい感慨に耽っていたと反省して天極の向かいに座ると、背の低いグラスにとくとくと酒が注がれる。
揺れる琥珀色の液体を知らず見つめていると、天極が切り出し難そうに口を開いた。

「あー……、何だ。角宿お前、何か悩みでもあんのか」
「は?」

悩んだ割にはストレートにぶつけられた疑問に、思わず一文字で聞き返す。何の話かと眉を寄せると、最近考え込んでるだろうがと苛ついたように重ねられる。

「いや、特に悩んではいませんが」
「嘘つけ! 普段のお前が心火のココアを勝手に飲むかよ!」
「っ、見てたんですか!? あれはちょっとぼうっとしてて、」
「だから、そのぼうっとしてる理由を話せ!」

親にも言えねぇようなことかと噛みついてくる天極は、けれど案外心配そうな色を浮かべている。息子の様子がおかしいからと不器用ながら相談に乗ろうとしているのに気づき、角も思わず口角を持ち上げた。

「まぁ、確かにちょっとばかり、どうしていいか分からないことはありますけど」
「おう、それだ!」

話せと身を乗り出してくる天極の気持ちは嬉しいが、断りますと片手で顔を押し戻しながら答える。

「はあっ、何でだよ! 悩んでるなら相談してみろ、ほら、話すだけでも楽になるとか言うだろ、俗に!」
「まぁ、そうですね。でも今回に限って頭領では役に立たないので」
「ぐはっ。お前役立たずとか言うか、仮にも父親に向かってー!」

こうなったら意地でも聞き出すとむきになる天極に、話すほどのことじゃないですと繰り返す。

「お前より俺のほうがちょっとばかし長く生きてんだ、できる相談もあるだろ!」
「何を贈っても投げ返されてた頭領に、助言できるとは思えません」
「っ、お前、痛い古傷を……!」

違うんだあれが天狼の愛情表現でともごもごと言い訳しながら蹲る天極は、耳はおろか抱えた太い腕から覗く頭まで見事に真っ赤になっている。

なんて哀れな純情かと冷めた目で見るのが半分、死んで大分経つというのに未だ一筋でいられることを羨むのが半分。
そっと視線を外して口をつきそうな皮肉は酒で流し込み、小さな吐息に変えた頃にようやく立ち直ったらしい天極がのそりと向かいの席に座り直している。

「心配をかけたのは謝ります、けど頭領に思い悩んでもらうことではありませんから」
「……そういや、そろそろあの嬢ちゃんの誕生日か」

それで悩んでんなら確かに力にゃなれねぇなぁと拗ねたようにグラスを持ち上げた天極に、思わず腰を浮かせかけるほど反応する。不審げな目で見てきた天極に、何でそれをと歯を噛み締めたままぼやくとはぁんと馬鹿にしたように眉を上げられた。

「お前が何か贈りたいような相手を複数持てるほど、器用な男かよ」
「ちがっ、そ、うじゃなくっ」
「あ? 何だ違うのか、あの食堂のちみっこい嬢ちゃんだろ、おっかねぇ母親の、」
「誰が詳細説明しろっつったよっ!!」

思わず昔の素が出るほど恐慌して本気で殴りかかるが、面白そうに笑った天極に軽々受け止められて呵呵と笑われる。

「は。兄貴面して澄ましてねぇで、たまにゃあ弟たちにもそんな面見せてやりゃどうだ」
「死んでも御免だ!!」

唸るように噛みついてどうにか座り直し、殴り損ねて受け止められた手を軽く揺らす。馬鹿力めと心中に低く罵って続けたいそれらを再び酒で流し込んでいると、どうやらほっとしたらしい天極が楽しげに口許を緩めているのが腹立たしい。
こうなれば酒は飲み尽くしてやるとボトルを奪って自分で注ぎ、勝手に飲んでいるところに、

「そうか、お前もそろそろ身を固める気になったか」

いいこったと嬉しそうにしみじみと感じ入っている天極の言葉で、思わず口にしていた酒を吹き出した。

汚ぇっと身体を逸らした天極にげほげほと噎せながら、何の話ですかと掠れた声でどうにか突っ込む。
勿体ねぇいい酒なのにと嘆きつつ脱いだ服で拭いている天極は多分後で義妹たちに叱られるだろうが、今はそれどころではなくて。
睨むように見据えていると、天極が左の眉を跳ね上げた。

「何だ、誕生日に託けて浚っちまおうって話じゃねぇのか」
「……それができる相手だとでも?」
「はは。まぁ、とりあえずあのおっかねぇ母娘は乗り込んできそうだがなぁ」
「そんな経験、カレンの一度で十分ですよ」
「確かに、ありゃあ怖かった」

くつくつと面白そうに笑いながら答えた天極は、存外真面目な顔で見据えてきて軽く目を眇めた。

「だが、お前が降りるって選択肢もあるだろう」

もうガキじゃねぇんだと静かな声で言われ、咄嗟に怒鳴りかけた口をどうにか閉じた。天極のそれは冷やかしや揶揄などではなく、どこまでも本気だと分かったからだ。

天極はきっと、空になければ死ぬのだろう。

子供たちが一人二人と地上に帰っていくのを笑って見送り、誰が呼んだところで降りてこない。もう地上にはない星を近く眺めて、いつか誰も知らないまま果てるのが望みのようにさえ思える。
それまでに、子供たちを全員帰したいと思っているのは知っている。
そもそもこの蛇の城は、そこにあっては息苦しかろうと一時拾い上げるための避難場所でしかない。
思った以上に大所帯になったせいで巣立つ雛を見るのは物寂しくても、重みに耐えかねて地上に横たわったりしはない。

いつだって遠く見上げる空に思い出したように現れて、悠然と泳ぐだけ──。

「自分が勝手に拾ったくせに、面倒見切れないからって育児放棄ですか」
「そうじゃねぇ、好き合ってんのに離れて暮らすこともねぇだろっつってんだ」

後悔して生きたかねぇだろと諭すような口振りで言い聞かせられ、思わず眉が寄った。

それなら、どうして。

問うてはいけないとずっと黙ってきたが、酒の入ったグラスを強く掴んで視線を重ねないまま口を開く。

「どうして頭領は、天狼と離れて暮らせたんですか」

正直なところ、天極と彼女が本当に愛し合っていたのかどうかは分からない。よほど長くならなければ誰も邪魔をしに行くこともなかったし、何回かに一度連れて行かれた時に会った天狼は最初と変わらず天極を扱っていた。

双子の父親にしても天極が俺の子だとふざけて主張することはあったが、違うねこの子たちはあたしが細胞分裂して生んだんだ禿げの血なんか一滴たりとも混じってないね! と天狼は噛みつくように否定していた。
それがどこまで照れ隠しだったのか事実だったのか、天極がどこまで知っているのかも分からない。

ただ彼の馬鹿みたいに今以て貫いている煩いほどの愛情は、嫌ほど見てきた。天狼がなければ生きていけない、嘘や冗談ではなくそれが天極のすべてだったはずだ。

天極はしばらく言葉に迷ったような沈黙を抱えた後、困ったように後頭部をかいて複雑そうに笑った。

「天狼は、……あそこを離れられんかったからなぁ」

俺みたいに根無し草じゃなかったろうと、泣きそうに笑って答える天極の声は僅かに震えている。

側にいたくなかったはずはない。傍から見ていて気持ち悪いほど、天極はただ彼女だけを愛していたのだから。それでも無理に引き抜けば枯れてしまうことも知っていた、天狼が笑えなくなるほうが嫌でそれなら自分の気持ちを殺すほうが簡単だったのだろう。
後悔はないのかなんて、馬鹿げた問いかけをしそうになった口を噤んで視線を逸らした。

こんな話、するのではなかったと苦い思いが込み上げてくる。

「まぁ、あれだ。お前は自分が思うように生きりゃいい」

おっかねぇ母ちゃんが乗り込んできても兄弟全部で立ち向かえんだろと何故か面白そうに笑ってぐしゃぐしゃと髪を撫でてくる天極に、一度だけ唇を噛んで邪魔そうに手を払った。

「つーか頭領、そこにいる気ない発言ですよね、今の」
「……いやいやいや。あれだ、子供の喧嘩に口出すのはみっともねぇしなぁ」
「相手既に母親来てんじゃないすか、あんた父親なら息子は身を持って守ってナンボでしょうよ」
「ぅえーっ。あの母ちゃん、おっかねぇだろーよぉ」
「天狼ほどじゃないですよ」
「馬鹿、お前、天狼はそこに愛があったからいいんだよ!」
「あい」

初めて聞いた単語を繰り返す気分で顔を顰めると、あったろうがよぉぉぉっと泣きそうに迫ってくる天極はいつも通りだ。気持ち悪いから寄らないでくださいと他人行儀に押し退けながらほっとしていると、いきなりぐいと首に腕を回されて乱暴に反対の手で撫で回された。

「別に何でもいいんだよ、贈るもんなんて。祝ってやりてぇって気持ちがそこにあんなら、それで」

いやあしかしお前もそんなことで悩んでるなんてガキだなぁって安心するわと冷やかすように語尾を上げられて、思わず肘を振り上げて顎先を狙う。当たると思ったかと笑いながら今度は両手で頭を撫で回され、うぜぇ! と反撃するがげらげら笑いながら避けられたり受け流されるのもいつもの話だ。
こんな姿、間違っても弟たちには見つかりたくない。

「大体何でもよくねぇから天狼だって投げ返したくらい理解しとけ!」
「はあ!? 天狼は欲しいっつってたもん贈っても投げ返したわ!」
「もうそれ絶望的に嫌われてんだろ!」
「ち、ちげぇ、ちょっぴり素直になれないオトシゴロだったんだっ」
「そこまでいったらもうお目出度い通り越して哀れしか覚えねぇ、現実見ろよハゲ天」
「誰が禿げだ!」

などとまだ船に二人しかいなかった頃のように大人気なく争って有耶無耶になってしまったせいで、後数日また頭を抱えることになるのだろうけれど。

明日の朝まではもう少し、蛇のために地上でそっと瞬いていた星と星に焦がれて泣く蛇のことしか考えられなさそうだ。


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 おと様から頂きまし…!た!
なんでしょうね。この親子さんね。けしからん萌えぶりですよ一周回って逆に燃えますよもうなんていうか 大好きです…!! 角さんのタメ語いいですね…いいです…(かみしめつつ)たまにはこういう風に肩の力を 抜いて親子してほしいですね。 ありがとうございました!!


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