「もし俺を殺せると思うなら、かかってきたらいい」

にこりともせずふてぶてしくそう告げた相手は、見た目だけならばまだ十代にも見える。けれどその 幼げな顔立ちに浮かぶ表情はなく、じっと見据えてくる眼差しからは見た目ほどの若さを感じ取れな かった。

まるで生き飽いた老人のような。悟りに近づいた僧侶のような。

躍動する喜びを感じさせない、静かに凪いだ瞳。向けられる殺意さえどうでもよさそうに眺めてくる、 その眼差しの持ち主を彼らは知っていた。

「フェイクエンド……!」
「懐かしい呼ばれ方だ」

誰かが否定してほしそうに呼んだ名前に、少年じみた容貌の相手は楽しくなさそうに肩を竦めた。

この町で、この国で、その名を知らない者など存在しない。暗殺を主とする闇ギルドとして広く知ら れるそれは、そのままギルドマスターの名前だった。
ひどく気紛れで何を基準に依頼を受けるのかは分からないが、一度引き受ければどれほどの困難でも 必ず果たされた。

当然のように目障りだと認識され向けられた悪意に対する報復は熾烈を極め、陰惨な手口は隠そうと もされなかった。それを見て敵意を向けかけていた全ては沈黙し、目を逸らし、触れてはならない災 厄としてその存在を受け入れざるを得なかった。

たった一人で作り上げられたギルドは一年も経つ頃には恐怖を持って囁かれるようになり、瞬く間に 闇ギルドの頂点に君臨したのだが。

「まさか、もうとっくに潰れたはずだ!」

何年か前から、その名を聞かなくなっていた。
ギルドとは名ばかりで拠点も持たず、何人が所属しているかは誰も把握していなかったから、活動が 止まってその後を追える者もなかった。

どこかで返り討ちにあった、暗殺に嫌気が差して足を洗った等々、憶測なら好き勝手に流れたが何が 真実かも分からず。長い沈黙に人々の記憶が風化するまま忘れられていた──否、忘れられるはずだ ったのに。

無感動な虚無を湛えた灰に射られ、恐怖を覚えない者などいない。潰れたはずだという希望こそが儚 く潰える、対峙しているこれこそが本物の禁忌だと本能で悟っていた。
どうしてこんなところで行き会ってしまったのかと後悔に立ち竦んでいると、人形のような無表情で 一瞥した闇が退屈そうに口を開いた。

「……こないのか?」

最後通告。ぞわりと背筋をかけた悪寒に従って踵を返した時には、全てが遅かった。

ばたばたと仲間が倒れていくのを視界の隅に捕らえた最後の一人が悲鳴を上げようとしたが、実際に 口から零れたのは風が通り抜けるようなひゅるとした音だけ。僅かに遅れて、鮮血が吹き出した。 自らの首から吹き出した真紅だけが、最期の光景だっただろう。後はもう何も許されず、重力に負け て身体が地面に投げ出された。

倒れて動かなくなった塊の中央に一人だけ立つ存在は、面倒そうに腕を振るってナイフについた血を 落とした。

「余計な仕事を……」

増やすなよと厭そうに吐き捨て、自分の持つナイフを見て無造作にそれも捨てた。よほど丁寧に手入 れをしない限りもう使えないような物、わざわざ持ち帰る価値はないと思い出したように。

かったるそうに何度か首を鳴らし、肩を回し、小さく息を吐いた彼は溜まり始めた血を上手に避けて 歩き出した。

「このまま帰ったら、またうっせぇんだろなぁ、あの女。すーぐクビクビ言いやがって」

好きで絡まれたんじゃねぇっつの、と面倒そうにぼやいた割に口許は笑っていた。

「大体、どーして俺が、」

言いかけて口を噤み、緩く頭を振ると意識してへにゃっとだらしなく笑った。足を速めながら、とん とんとこめかみを指先で叩いた。

「どーして僕が、こんな遠い町までお使いに来なくちゃいけないんでしょうねぇ?」

面倒臭い面倒臭いと何度か繰り返し、前方に今にも出発しかねない馬車を見つけて乗る乗る乗ります ーっと声を張り上げた。
ここで止まってくれなかったら殺そう。と物騒なことを心に誓ったが、御者の男性が仕方なさそうな 顔でそこにいてくれるので実行に移さずにはすみそうだった。

「早く用事を済ませて帰らないと、ご主人様に捨てられるー」

本気でやりやがるんだあの女と憎々しく吐き捨てる口許は、けれどやっぱり見るからに笑っていた。





「砂糖漬けの桃が三つでー、とーてんぽー? とーたんぽー? のレースとー、うにょっとして蛇み たいなリボンとー、からからの花のミイラも買ったしー」

買い忘れはないはずだと貰ったメモと買い物袋を覗いて確認しながら急ぎつつ、どうしてこんなつま らない買い物をさせられているのだろうと眉根を寄せる。どれもメーカー指定の限定品のようだが、 商人たる彼女のこと、どれも箱単位で取り寄せて売り捌けばいいのに。

というかいつもならそうしているはずだし、仮にお使いに出るならメイド頭が多く彼の出番は回って こない。仕えてすぐの頃、僕にもできますよぉっと強請って完璧に仕事をこなしたはずなのに、何故 かそれ以後その手の仕事が回ってこなくなった。
何一つ買い忘れもなく、見事にパーフェクトにこなしたのに。

「別にどこで買っても同じような物なのにー」

お前にはメモに書いてある字も読めんのかと激怒された、あれは甚だ理不尽な怒りだとつくづく思う。 挙句二月も近寄ることさえ許されず、ひたすら芋の皮むきだけさせられた。それがない時は精神修行 と称して、キッチンの片隅に置かれた椅子の上で正座。不動。

あれは足が痺れると言うより痛くて、思わず通りがかった誰かで鬱憤を晴らしそうになった。何故か そのたびに見つかったので、実行していないけれど。

思い出すだに不愉快な記憶を大慌てで頭を振って追い出し、見えてきた懐かしの屋敷ににへーっと顔 を緩める。

今回はばっちりだ。馬車に乗り合わせたおばちゃんが、あらあらどうしたの怪我でもしたのと頬を拭 いてくれて割と親切っぽかったからメモを突き出し。これを完璧に揃えないとご主人様に叱られるん ですぅと、似ても似つかないおばちゃんに何とかご主人様を思い出して重ね、努めていつもの口調で 告げると簡単に揃えてくれた。

ご主人様には気色悪いと頭を踏みつけられるが──あれもそろそろ真面目に抗議していいはずの屈辱 だ、あの手の趣味嗜好がある人間には到底なれそうにない──、他の人間は何故か言うことを聞いて くれるので楽だ。

「ふふーん。これでお役立ち小猿認識させてやるっ」

待ってろご主人様! と手を振り上げ、取り落としかけた荷物を慌てて支える。きょろきょろと辺り を見回すが誰もいない。
よかった、こんな屋敷近辺で羞恥に駆られるまま暴れたら、後の始末が面倒だ。反省しようと形ばか り頷き、さっさと帰ろうと呟いて走るような足取りになる。

辿り着いた正門には珍しく誰もいないがあまり気にせず通り過ぎ、広い前庭にちょっとげんなりしな がら駆け抜ける。狼面のノックを無造作に打ちつけて返事も待たずに扉を開けると、銃声にも似た軽 い音で迎えられた。
咄嗟に飛び退り、何が起きたのかと視線で周りを確認する。反射で片っ端から殺しそうになるが、何 とか堪えるのは目の前にご主人様が立っているからだ。

警戒は解けないままも何度か瞬きをして驚きを遣り過ごしていると、どうやらクラッカーを鳴らした この家のメイドたちがにこやかな笑顔を向けてくる。

「誕生日おめでとう、ウィルフ」
「……、…………は?」

我ながら気の悪い声で聞き返すが、メイドたちは少しも気にせず口々に寿いでくる。何が起きたのか と訝りながらご主人様を窺うと、何だか楽しそうだ。

ふと思い当たり、むぅと拗ねた顔をして詰め寄っていく。
「ひどいですよお、ご主人様! どーして僕に祝わせてくれないんですかぁ!」
「また馬鹿げたことを言い出したな。今度は何だ」
「馬鹿げたって何ですかぁ! ご主人様の誕生日にどうして僕がお使いに行かなきゃ行けないんです かっ」

僕も祝いたいと地団太を踏んで抗議すると、ご主人様は呆れた顔をして集まっている面々に準備に迎 えと苦笑がちに指示する。メイドたちが何だか生温い笑みでそれに応えて引き上げていくのを見送り、 ようやくご主人様が顔を戻してくる。

「私の誕生日に、どうして全員でお前を迎える必要がある。少しは頭を使え」
「……? ご主人様、誕生日じゃないんですか?」

でも今そう言いましたよねとかくんと首を倒し、考えている間に荷物を取り上げられた。そのままさ っさと踵を返すご主人様の後に続き、誰の誕生日なんだと首を捻る。

「お前の誕生日に決まっている。わざわざ使いに出したのは、準備を進めるのに邪魔だったからだ」
「誕生日……、僕の?」

何度も瞬きを繰り返し、反対側に首を倒した。

「僕の誕生日、今日なんですか」

いつから? と不思議に思って聞き返すと、今日からときっぱりした答えが返る。もう何度か瞬きを 繰り返し、へえ、と無感動に呟く。

「今日なんだ」

ふぅん、と何度か頷いて日付を思い出し、今日が誕生日と繰り返す。

少なくとも今こうして生きて動いているのだから、何れ彼にも誕生した日があるのだろう。ただ彼自 身はそれを知らず、雇い入れる時に幾らか調べたところで彼女も掴めなかったはずだ。
それなのに、どうしていきなり今日と定まったのだろう?

「どうして今日になったんです?」
「お前がここに来て、ちょうど半年経った日付が今日だっただけだ」
「半年」

言われて記憶を辿れば、三年半前くらいからここにいるような気がする。どうして三年経ってから突 然祝われるのかは分からないが、半年の意味は何となく分かる。
彼がこの屋敷に来た日にすると、彼女が大切に思っていた父の命日と重なる。そんな日に彼を祝う気 には到底なれないだろう。

今だって、本当には彼を祝えないかもしれない。彼が誰かを知らないメイドの一人が言い出して、仕 方なく付き合っているだけかもしれない。
それでも彼女が今日を誕生日と決めてくれた、彼にとってはその事実があるだけでいい。

思わず頬を緩めていると、肩越しに振り返ったご主人様は明らかに呆れた顔をしたが苦く笑った。

「何か欲しい物でもあるか」
「あ! お使い、僕ちゃんと全部完璧に揃えましたよ! 褒めて!」

撫でろとばかりに頭を突き出して強請ると、いつもなら問答無用で叩かれて終わりにされるのに。
散々と馬鹿を見るような視線は後頭部にじりじりと感じたけれど、しばらくして手が伸びてきて。叩 くように押さえつけた後、優しい仕種で撫でられる。

だらしない顔つきだと指摘を受けるのが悔しいから俯いたまま、くすぐったく身体を震わせる。

名前も、出生も、職業も、誕生日も。何もかも嘘か、でたらめ。
それでもご主人様が小猿と呼ぶ彼の誕生日が今日と決められたなら、ささやかに叶えられる望みに知 らず口許が緩むくらいは許されるだろうか。


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 おと様から頂きました、ありがとうございます!!〈BR〉 小猿さんお誕生日…ということで誕生日に頂戴いたしました。小猿さんは意図して黒い暗い部分をご主人様から 隠しつつたまにちろっと見えてしまっているあたりがかわいいです(笑)


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