ナテフォアの不手際により、予定より到着が一日遅くなった。
危うく他所においしい仕事を持っていかれるところで、スティラの手腕だけで最悪の事態は回避され たもののその後は彼女の機嫌がよろしいはずもなく。直接失敗したわけでもないナビアまでが、びく びくと様子を窺わざるを得ないほど艦内の空気は最悪だった。

ルガオスに至っては真っ先に八つ当たりの的になり、商談が済むなり無茶な仕入れを一任されて町は おろかこの国中を駆けずり回っている。それに必要な小型艇のレンタル料は、当然のようにルガオス 持ちだ。
俺じゃなくてよかったとこっそり額の汗を拭ったナビアは、比較的平然としているジェイクスの側に 寄って美味い物でも買ってくるかと相談しているところに嘴を挟む。

「ジェイの兄貴、艦長の好みなんて把握してるの?」
「基本的に、美味い物なら文句は言われない」
「……うん。兄貴って、時々そやって大雑把だよね……」

聞いた俺が馬鹿だったのかと反省しているところに、観光ガイドを捲っていたレイフォードが止めた ページを持ち上げて見せた。

「先日こちら出身のお嬢さんに聞いた、このスフレのお店はどうですか? 評判らしいですよ」
「スフレって、出来立て命だろ。今のお嬢を連れ歩く自信は、俺にはないけどな」

お前が同行してくるかと水を向けるジェイクスに、レイフォードはご冗談をと大きく頬を引き攣らせ ている。

「あなたでさえ同行を拒む状態のあの方に、私が敵うはずないでしょう」
「女の使いにかけては右に出る奴はいないんじゃないのか、破戒僧」

冷やかすように語尾を上げたジェイクスに、レイフォードは慎んで返上させて頂きますと真顔で返し ている。

僧侶のくせに女性と見れば見境なく口説く、とはジェイクスの言だが、にこにこするまま否定も肯定 もしないレイフォードにここまで言わしめるのは、世界広しと言えども艦長くらいのものだろう。 とりあえず艦長の扱いに長けたジェイクスと、女性の扱いに慣れたレイフォードが揃って無理と言う なら、ナビアなどには最初からお手上げだ。

「でもさ、機嫌の悪い艦長に気に入らない物を買ってきたら火に油じゃないの?」

ここは素直に何が欲しいか聞くべきでは、とそろりと提案してみたが、二人して重苦しい溜め息をつ かれた。何か間違ったことを言っただろうかと戸惑っていると、ふっと達観したようにジェイクスが 目を細めた。

「お嬢に欲しい物を聞くと、こっちの気力と金ががしがし削られるんだよな……」
「え、お金は分かるけど気力?」

何それと目を瞬かせるナビアに、知らないって素晴らしいなとジェイクスが遠い目をする。聞かない ほうが身のためですよとレイフォードも一緒になって忠告してくるが、元来好奇心旺盛なナビアは余 計にわくわくして、どういうことと目を輝かせる。
話さないと収まりそうにないと見て取ったのだろう、レイフォードが溜め息混じりで幼馴染に話を振 る。

「前回、あなたが頼まれたのは何でしたか」
「スフィーチャー社の靴下、特注で極小赤ん坊用二足。お前は」
「シュガウンが発表したばかりだったピジョンブラッド、0.1カラット」

互いにぼそぼそと答え、溜め息を交わす幼馴染たちにナビアは首を捻る。

「赤ん坊用の靴下とか、0.1カラットって?」

何その限定と眉根を寄せるナビアに、二人は乾いた声で笑う。
そこに少し離れた場所から、うぇえぇぇえっとおかしな悲鳴が上がった。びくっと身体を竦めたのは ナビアだけ、ジェイクスとレイフォードは同情するような眼差しを悲鳴の主に送っている。

「何でよりにもよって、ウェルのスプーンかなぁ! 銀細工なら他にも工房あるだろ、ほら、カクト ゥンとかオオサメ工房も気に入ってなかった?」
「ウェル」

譲る気はなく単語だけ繰り返し、にっこりしているのはスティラ。その前で打ちひしがれているのは ナテフォアだ。

「うー、あー、ウェル……ウェルかぁっ」

本気でしゃがみ込んで頭を抱えているナテフォアを、胡散臭く眺めるのもやはりナビアだけだ。ジェ イクスとレイフォードは、生温い視線のまま何度となく頷き合っている。

「無理なら別にいい」
「いや! 無理じゃない……多分。えーと、多分」

素っ気なくスティラが踵を返そうとしたのを引き止めたナテフォアは、首の後ろをかいて諦めたよう な溜め息をついた。深く息を吐き出しつつ立ち上がり、頑張りますと天井辺りに視線を彷徨わせつつ 言質を与える。

「頑張れ」

まるっきり他人事として、それでも飛び切り可愛らしく笑うスティラにナテフォアはしばし声も忘れ て見惚れ、ああくそ俺の馬鹿と通信機に向かった。

ちょっと借りるなーと断って記憶を頼りに入力したナテフォアが、目の前の画面を顰め面で眺めてい るとやがてそこに相手が映る。
朱鷺色の髪と藍色の瞳という派手な色彩を纏った男は、相手を確認してひやあと独特な声を上げた。

『珍しなぁ、誰か思たらナーちゃんやんー』
「ナーちゃん言うな!」

思わずといった様子で噛みついたナテフォアは、けらけら笑って相手にしない男を睨むように見据え て逡巡した後、渋々といった様子で口を開いた。

「そこにティアいないか」
『えー、久し振りに連絡してきた思たらティアちゃん目当てかー。愛想ないなー。つれへんなー』 「っ、いいからティアと代わってくれ」
『そー言うたらなぁ、カオンちゃんも連絡してこぉへんねん。何やろなー、この似たもん兄弟はー。 あ、ナーちゃんやったら今カオンちゃんどこおるか知ってんちゃう?』
「あのクソ兄貴の居場所なんざ知るか、つーかいいから会話しろ!」

グリフの与太話に付き合うために連絡してんじゃねぇよと怒鳴りつけたナテフォアに、グリフと呼ば れた相手の笑顔がすうと凍った。艦長がご機嫌を損ねた時と同じ、地雷を踏んだと見ている全員が理 解する。

『堪忍なー、俺今忙しねん、ああもう世界終わる! いう勢いや。与太話してる暇もあれへんわー、 ほなさいなら』

笑顔で軽く片手を上げたと思った瞬間には、向こうから通信を打ち切られている。
てめ待てこらと声を荒げたナテフォアが何度も繋ぎ直そうとするのに、どうやら向こうで完全にシャ ットアウトされているらしい。最後には繋がる気配も見せなくなって、ぷっつりと途絶えたままの機 械よろしくこの場にも沈黙が漂う。

しばらくして、はははふふふと低い笑い声が聞こえ始め、手を突いて項垂れていたナテフォアが勢い よく顔を上げた。どこか面白そうに眺めていたスティラに振り返り、悪いけど協力してくれないかと メモに何かを書きつけて渡している。

「銀のスプーンに追加も聞くから、探してほしいんだけど」

お願いしますと頭を下げるナテフォアに、スティラもちらりとメモを見て何度か頷くと愛用のコンピ ュータに向かう。画面の移り変わりが早すぎて何をどうしているかナビアには分からないが、幾つか 視界に留まった画面からしてどこかにハッキングしているのだろう。
十分と待たずに目的の何かに辿り着いたようだが、珍しく甲高い警告音が鳴り出して思わず耳を庇っ た。

「え、何これ!?」
「スティラ、」
「むかつく。まさかの七重トラップ。……これ、潰していい?」
「いや、ごめん、さすがにそれはちょっとまずいっ」

場所が分かったらいいからと慌てて止めるナテフォアに、スティラは少しだけ不満そうにしたが何も 言わないまままた指を踊らせ始め、警告音を止めた。まだしばらく画面に向き合ってはいたがすぐに 電源を落として何かを書きつけ、ナテフォアに渡している。

「青嵐とファルセイ大陸の間? 海?」
「空」
「……何やってんだ、あいつ」

不審も露に呟いたナテフォアは、はっとしてスティラに向き直る。

「ごめん、助かった。何がいい?」
「スープ皿。これくらいの」

言ってスティラが両手の指で作った輪は、直径十センチほどだ。何に使うのかと眉根を寄せるのはや はりナビアだけ、ナテフォアはおろかジェイクスたちまでやっぱりと小さく呻いている。
とりあえず顔を引き攣らせつつも了解と受け取ったメモを揺らしたナテフォアは、また通信機に戻っ て操作を始める。今度は画面に映像が現れ始め、先ほどのグリフが営業的な笑顔を向けてくる。

『まいどおおきにー、ウォルヴィス商会……て何や、ナーちゃんかぁ』

愛想振りまいて損したと口を尖らせるグリフに、ナテフォアが頬を引き攣らせる。

『しっかし営業用のアドレスで連絡してくるやなんて水臭いわぁ。個人コードでかけてきたらええの にー』
「思いっきり着拒否しといて何言ってやがる!!」
『えー。誰やー、そないいけずしたんー。ティアちゃん、あかんでー』
『俺様とてめぇ如きを一緒にすんな』

画面の向こうで涼やかな罵声が聞こえたと思うと、グリフの姿がいきなり消える。本気で蹴ったーと 頭を抱えて大騒ぎしたグリフが身体を起こしたのはたっぷり一分以上経ってから、あまりの痛さに動 けもしなかったのだろうと予測はつく。
冷めた目でそれを眺めていたナテフォアは、本題に入っていいかと低い声で口を挟んだ。

『慰めもしてくれん冷たい子ぉと話す必要性は感じませんっ』
「どっからどう見てもお前の自業自得だろ。あぁあぁ、消すなよ。あいつの居場所、知りたくねぇの」
『何や、長いこと繋いでこぉへん思たらお兄ちゃんに泣きついてたんかー、この甘えん坊さん』

見るからに嫌がらせと分かる笑顔で語尾を上げるグリフにナテフォアが拳を震わせると、またしても 横からひどい衝撃が加わってグリフの姿が消える。
代わって姿を見せたのは、長い深紫の髪をした美女。

『これはこっちで始末しとくから、話を進めろ。カオン、どこにいるって?』
「つーかティアが個人コード持っててくれりゃ、もっとさっさと話が進んだんだけど」
『は。俺様は俗世に関わる気はねぇ』

そのくらい知ってろと偉そうにのたまう姿は彼女によく似合っているが、何故だろう、さっきからナ テフォアが後ろ手に絶対喋るなよと脅してきているのは。
しかしジェイクスはそれに気づいているだろうに知らない顔で、画面を眺めながらへえと声を上げる。
「……あれがティア=ロクウェルか。初めて見るな」
「ナテフォアさんは、たまに凄い人脈をお持ちですねぇ」
「え、てことはあれってあの有名なウェルの作者ってこと!?」

すげーすげーと目を輝かせて思わず大騒ぎすると、お前ら何のために合図してると思ってんだと振り 返ってきたナテフォアが声もなく怒鳴りつけてくる。

「おや、どうやら彼は私たちに紹介もしてくださらないようですよ」
「お前、いつから野郎にまで射程範囲を広げたんだ」

近寄るなよと隣にいる幼馴染を蹴り飛ばしたジェイクスのそれで、ナビアも思わずええと声を張り上 げる。それからジェイクスと画面に映っているティアと呼ばれた相手とを見比べ、酸素不足の魚よろ しく口を開閉させる。

「男!?」
「どこからどう見ても男だろ」
「どこをどう見たらそんな結論になるんですか!?」
「お前、それでも格闘僧か。明らかに野郎の骨格してるだろ」
「骨格って、……兄貴、人の身体を骨で判断してんの」

どうやって見るのそれと自分の身体を見下ろしつつ疑問を浮かべるナビアに、ジェイクスは知るかと 短く吐き捨てる。

「いい鍛え方してるみたいだな。筋肉のつき方が綺麗だ」

どんな鍛錬をしてるんだと気安く画面越しに話しかけるジェイクスに、ティアは複雑そうな顔をした まま肩を竦めた。

『特に何も』
「へえ。それであの威力の蹴りが繰り出せるのか。凄いな、銀細工師」
『お前みてぇな鍛錬馬鹿っぽい剣士に言われたかぁねぇよ』

がりがりと頭をかいて吐き捨てたティアは、ナテフォアに視線を移している。

『何だその、後ろの愉快なの』
「……今世話になってるこの船の、船員」
『んー? 要はつまり同僚ちゃうん、それ』

首を傾げつつ割って入ってきたのはグリフで、後で慰謝料請求するからなぁと何故かナテフォアに因 縁をつけている。ティアは黙ってろとグリフを押し退け、話を進める。

『とりあえず、あの馬鹿の行方を先に教えろ』
「ああ、青嵐とファルセイ大陸の間だと」
『間? ……グリフ、蛇捕まえろ』
『あそこかー。道理で捕まらんはずやー』

ナテフォアの適当な答えでもぴんときたのだろう、ティアの指示にグリフも向こうで従っているらし い。ティアはちらりとそれを窺ってから向き直ってきて、で、と一文字で先を促す。
ナテフォアも承知したもので、銀のスプーンとスープ皿が欲しいと答えている。

「皿は直径がこれくらいで、」
『スプーンもそれに合わせんのか』

いくらか呆れたようなティアの確認に、ナテフォアは振り返ってスティラを窺ってから頷いている。
ティアもそれでようやくスティラの存在に気づいたらしく、しばらく眺めてから僅かに片方の眉を上 げた。

『ひょっとして、奇跡の魔女か。こんなところでお目にかかれようとはな』
「引き篭もりの銀細工師より、世界を回ってるつもりだけど」
『は。ウォリスのベールが分厚くて、顔も拝めねぇ魔女よか俺のがましだ』
『ちゅーかそれ、どっちもどっち言うん、』
『蛇と連絡ついたら黙ってくたばってろ』

後ろに見える背中を躊躇なく蹴り飛ばしたティアは、げぶっと妙な音を立てて沈黙した相手を気にも 留めず憤然と腕組みをした。

『まぁ、その程度なら今手が空いてるから作ってやる。カオンの馬鹿に取りに来させるから、都合が あるならあっちに連絡しろ』
「っ、何で兄貴に預けんだよ!? それなら俺が取りに、」
『カオンにしか渡さねぇ。あ、カオンの運び賃もお前が出せよ』
「だから何で俺がーっ!!」
『じゃあ作らねぇ』
「っ、〜〜! 〜〜、ああくそ、お願いします!!」

馬鹿を晒した昨日の俺が憎いと本気の強さで拳を震わせつつも妥協するのは、それが自分の目的では なくスティラに差し出す供物だからだろう。
打ちひしがれるナテフォアを見下ろしてにやりと笑ったティアは、仕上がったらカオンに連絡すると 止めを刺してスティラに視線を変えた。

『それじゃあな、魔女』
「その銀に祝福を、銀細工師」
『お前の船にも女神の加護を』

珍しく穏やかに挨拶をしたスティラにティアも丁寧に答え、後は知ったことかとばかりにぷつりと通 信が切れる。
思った以上の出費がと頭を抱えたナテフォアは、よろりとした印象でスティラに振り返って苦笑した。

「これで水に流してもらえる?」
「さあ。ブレイズに聞けば?」

どこか楽しそうに語尾を上げたスティラの声に応えるように、彼女の肩からぬっと顔を突き出したの は小さな赤いトカゲ。白くて愛らしい靴下と、首に小さな赤い玉のついた首輪をしているそれは、ス ティラの飼う火蜥蜴だ。
実際に火を吹き獰猛と知られるその希少動物は、ジェイクスたちに出会うまで彼女を守り通してきた 頼もしい護衛でもある。

「おおう。久し振りに見た、火蜥蜴隊長」

最近はジェイクスやナテフォアがいつなりと付き添っているので、すっかり隊長の出番は奪われっぱ なしだが。解雇された話も聞かなかったのだから、まだ彼女に侍っていて当然なのか。

「あ、れ? あの靴下と首輪……」

この船に乗組員として迎えられる際、上司だと紹介された時にはつけていなかったはず。うん? と 首を傾げたナビアに、ジェイクスとレイフォードの視線が遠く泳ぐ。

「ブレイズ隊長は、今日もご機嫌がよろしそうですね……」
「あのルビーが目に眩しいわ」
「いえいえ、赤いお身体によく映える白い靴下ほどでは」

はははと乾いた声で笑い合った二人が額を押さえ、ナビアも慰める言葉が見つからない。
成る程、気力もがしがしと削られる。ジェイクスの言葉に偽りはなかったと実感するだけ。

「えーと……、まぁ、艦長のご機嫌麗しいのが何よりだよねぇ」
「真理だな」

重苦しいジェイクスの同意にも今日ばかりは喜べず、船にはただただ乾いた笑い声が木魂している。

-----------------------------------------------------------------


 おと様の傭兵さん「伝説はかく語られり」より ティアちゃん…様(笑)カオン、グリフトリオでのコンバートです…!なんて豪華なメンバー…
世界が違っても変わりのないティアちゃんが素敵です。ナテオさんとカオンちゃんの本当は出会わない 二人組、というのもコンバートならではで楽しいです…!ありがとうございます!


inserted by FC2 system