船に戻った奎宿たちを格納庫で出迎えた角宿は、疎ましそうに弟たちを一瞥してから翡翠に視線を変 えた。

「頭領命令だ、しばらく客人としてお迎えする。お連れの方はディルトを抜けてフェイルン辺りで拾 う予定だ、すぐに拾えないのはこちらの勝手で申し訳ないが位置は把握している、了承してもらいた い」
「素性も知れているなら逆らっても無駄だろうな。ただ僕を人質に青嵐と交渉するつもりなら、無駄 だと伝えておこう」

角宿が反論の余地のない様子で告げると、翡翠が凍てた目で答える。
小さく息を吐いた角宿は、それに関しては信用してもらうしかないんだが、とどうでもよさそうな声 で続ける。

「空賊とはいえ、人買いで名を馳せた覚えはない。そちらがどこの誰であれ、頭領が招くと決めた以 上は客人だ。素性を探る気もなければ金を取る気もない、ただ長く置くつもりがないのは先に言って おく」

うちも人助けを主とできるほど稼いでないんでねとこの場にはいない天極に対して当てこすった角宿 に、長く息を吐いた翡翠が深く頭を下げた。

「……助けて頂いたのに失礼なことを言った、申し訳ない」

一時なりと助けてもらって有難いと頭を下げた翡翠に、角宿はそんな必要はないと眉を顰めて周りの 弟たちに案内しろと顎先で促す。
こちらにと声をかけた畢宿が戸惑いながらも先に立って出て行くのを見送った奎宿は、不機嫌も露に 突っ立っている角宿に申し訳ありませんでしたと頭を下げる。

「あそこまで厄介な方々とは思わず、つい手出ししてしまいました」
「それに関しては別にいい。頭領がいたところで、同じく拾っただろうからな」

どうせ結末は一緒だったと、到底諦めたとも怒っていないとも言えない声で吐き捨てる角宿は、びく びくとそこで固まっている婁宿を見つけて仕方なさそうに息を吐いた。

「今船にない連中は待たずに発つ。圧倒的に手が足りない、婁、手伝ってこい」

しばらく休憩できると思うなよと苦くはあっても笑って告げた角宿の言葉に踵を鳴らして張り切って 答えた婁宿は、先に出て行った翡翠さえ追い越しかねない勢いで金属製の階段を駆け上がっていく。
カンカンカンと耳に障る音が消えた頃、角宿が寄越す視線に気づいて奎宿もさすがに恐縮する。

「そろそろディルトも大騒ぎですか」
「あの場ではったりが必要だったのは分かるが、ご丁寧に伯父の名前まで持ち出したおかげで侯は即 座にお前と見極められたようだ。蛇の捕獲命令はお前らが戻る前には出された、心がうまく撹乱して いるが持って一時間だ」
「まだ戻っていないのは」
「斗以外に嫁持ちは全員、後は朱雀がほとんどだな。面が割れてる中じゃ亢や女もまだだが……、そ の辺は適当に何とかするだろう」

箕と鬼がいないのは痛いがなと額を押さえた角宿は、心に礼は言っておけよと目を眇めるようにして 言いつけてきた。

「っ、」
「婁に元の地位で呼ばせたのは嫌がらせとしても、情報撹乱の他に後の操縦もかかりきりだ。尾、ソ フィアと戻ってないなら、あいつの負担は大きい」

それがどれだけの屈辱か分かっていながらもわざわざ念を押されるのは、それが今回の奎宿に対する 罰なのだろう。

血を吐くような思いでぎりぎりと歯を噛み締めつつ了承を伝えると、何度か頷いた角宿がようやく階 段を上がっていく。
仕方なく奎宿も後に続いたが、上がりきったところで肩越しに振り返ってきた角宿が呆れたような目 を向けてきた。

「いつまでも苦虫を噛み潰してないで、少しは取り繕え」

婁を巻き込んだのもお前だろうの言葉にできる反論はないが、眼鏡を押し上げるようにして目頭を押 さえたまま軽く俯く。

「申し訳ありません、もう少々だけお時間を」
「は。好きにしろ」

面倒臭い奴だと笑うような声で肩を竦めた角宿は、操縦室に向かうべく足を向けたところで角と呼び かけられて通路についたスピーカへとちらりと視線をやった。

「何だ、また厄介事か」
『またというより、抱え込んだそれの延長線上だ。無理やり通信を繋いできた馬鹿がいる、切るか、 繋ぐか』

しばらく前に直接乗り込んできた賞金稼ぎにシステムをジャックされてから警備を強化したらしく、 最近ではそうそう乗っ取られない。
それでも操縦の片手間に対応し切れるとも思えず、何より切ったところで問題を後回しにするだけだ ろう。

角宿も考えたのは一瞬、通信室に繋げと指示を出して向かう先を変えた。

「傾国の寵姫は、誰に横恋慕されて逃げたか覚えてるか」
「……答え辛いですが」

口篭るように目を逸らすと、ガグルの次はどの大国だと頭痛を堪えるようにして聞き返されるので意 を決して口を開く。

「玻璃、です」
「玻璃──というと、嶺皇か?!」

また面倒臭い相手をと顔を顰めた角宿は、少し先に見えてきた通信室から角ー! と小声ながら悲鳴 混じりに呼ばれて顔を上げた。
距離があるというのに真っ青になり、歯の根が合わないほど震えているのがよく分かる畢宿は泣き出 しそうに通信室を指す。

「りょ、りょりょりょりょりょ嶺皇が、嶺皇が船の代表者を出せと……!」

殺されるーっと声のない悲鳴を上げるのは、畢宿の影から転がり出てきた兄弟全員のそれだ。
無理だここにいたくない凍える殺されると口々に壁に張りつき、通信室には目も向けていない。

角宿は大きく息を吸い込むと長く深く息を吐き出して溜め息に代え、覚悟を決めたように唇を引き結 んだ。





『よくのこのこと俺の前に顔を出せたもんだな、翡翠』
「そちらこそ、僕の前でよくそんな台詞を吐けるものだ。僕の奥と知りながら想いを寄せる不遜だけ でも業腹なのに、彼女を物か何かのように横から浚おうとしておいて。彼女の良人たる僕の前に堂々 とその面を晒すとは、さすが厚顔と名高い嶺皇だ」

僕にはとてもとても、と薄ら寒い空気を放ちながら笑顔で受けて立っている翡翠の前に広がるスクリ ーンには、尊大な態度で座した嶺皇が肘を突いて斜めがちにこちらを睥睨している姿が映し出されて いる。翡翠の言葉で薄っすらと笑みを広げているが、画面越しであるのを信じてもいない神に感謝し たいくらい恐ろしい雰囲気を撒き散らしている。

『譲葉はどこだ』
「気安く呼び捨てないでもらおう」
『慣れん逃亡で理性的な判断はおろか、耳まで失くしたか? 俺はどこだと問うた』
「人の心を推し量る賢明さがないのは元より、目まで哀れなほど役に立たないようだ。彼女はお前の 前になど現れない」

質問を無視したまま吐き捨てた翡翠に、嶺皇は肘を突いたままの体勢を崩さず鼻で笑った。

『玻璃と遣り合うことなく、ただ女と逃げたような負け犬が。王位にあっても逃げることしか知らん ようなお前に、譲葉が守れるとでも思うのか』
「王位も国もどうでもいい、僕に必要なのは彼女だけだ。あの位にいては何れ彼女を殺したろう……、 今のほうがよほど国と彼女を守れる。その程度、察しがつかない嶺皇とは思えないが?」

だからこそ手を拱いているんじゃないのかと目を眇めた翡翠に、嶺皇は表情を無くした。

口を挟む余地などないままそこに居合わせて出て行くこともできなかった弟たちは、本気で息さえ詰 めてできる限り気配を殺している。あの黒と向き合えるのは闇を呑んだ森だけ、殺意のとばっちりを 食うのは堪らない。

ただこの二人をいつまでも放置していくわけにもいかない角宿としては、全てを飲み干しそうな闇の 前に身を晒すしかない。
通信室に入ってスクリーンに向き合うと、翡翠を見据えていた闇がふらりと向けられた。

『お前が蛇の頭領か』
「生憎、頭領は別件で外している」

用件なら俺が承ろうと目を逸らさずに告げると、僅かに嶺皇の眉が動いた。

『……成る程、ではお前が長兄の角宿か。お前に与えられている権限がどれほどの物かは知らんが、 今回お前たちが手にした玉は蛇には過ぎた物だ。即刻引き渡せ』

逆らうことを許さず慣れた様子で命じてきた闇は、温情をもってして、と凍てた声で続ける。

『今回のそれは強奪とはせず降って湧いた幸運であったとして、言い値で買い取ってやろう。どちら にも傷一つつけず玻璃まで届けるなら、だが』

悪い話ではあるまいと斜めに見据えてきた嶺皇に、角宿はふんと鼻先で笑った。

「他国に介入もできず手配書を回す程度にしか動けないくせに、横柄なことだな。俺たちを蛇と知り ながら、抱いた火を易々と譲り渡さない性質は知らないのか」
『それはお前たちの抱く火ではなく、俺の手にあるべき玉だ。蛇如きが龍に逆らうか』
「では、滝でも昇ろうか?」

臆した様子もなく皮肉に口を歪めて語尾を上げた角宿に、嶺皇は初めてどこか面白そうな光を宿らせ た。肘を戻して座り直し、今までは視界の端に置いて警戒していた翡翠から角宿へと注意を変えて見 据えてくる。

『確か、ガグルから目をつけられていたな。それら全て、俺が引き受けてやるというのはどうだ』

お前たちもそれで火を守りやすくなるだろうと笑うような提案に、どういうことかと聞いていた兄弟 たちが知らず視線を交わしている。見ずとも気配でそれを察するのだろう、嶺皇は黙っている角宿を 見たまま口の端を持ち上げた。

『蛇は頭領も含めて全員、護皇真隊に取り立ててやろう。空からは降りねばならんが、何れ安住の地 も必要だろう? 今ならお前らの抱く火ごと全て、俺が引き受けてやる。ガグルだろうが他所の国だ ろうが、俺の地で好きはさせん。家も、仕事も、金も、必要な物は全て用意してやろう』

どこまでも蛇にとって都合のいい条件を提示する嶺皇は、笑うようにしてまだ続ける。

『地上に縛られるのが嫌で俺の庇護を離れたくなっても、お前らの自由だ。他国の介在は国を出るな ら保証の限りではないが、それまでに用意した物を返せなどとつまらんことを言う気はない。代償を 求める気もない、後ろ足で砂をかけられても追わずにおいてやる。……どうだ、我ながら自分の寛大 に涙が出そうだぞ』

大盤振る舞いだなと何故か機嫌よく笑った嶺皇は、その笑みを湛えたまま凍てた目で角宿を射抜いた。

『両翡翠を引き渡せ。傷一つなく、丁寧に、丁重に運んでこい。それだけでお前らには最大の慈悲を 施してやろう』

さっきより譲歩してやったぞと、猫を撫でるというよりは獅子さえ絞め殺しそうな強さで言われ、角 宿はそうだなと小さく頷いた。

「だが、蛇は翡翠を物ではなく客として扱う。頭領の決定は覆らない」

交渉は決裂だなと闇を見据えたまま吐き捨てた角宿は、スクリーン越しだというのに背筋がぞくりと するほどの殺意に一瞬息を呑んだ。

嶺皇は提案していた時と同じ薄っすらとした笑みを浮かべ、再び肘を突くべく体勢を変える。ゆった りとした動作から目を背けることもできず、寧ろ一瞬でも目を逸らせばこれだけかけ離れているにも 拘らず、即座に噛み殺されるような恐怖心が背を伝う。

『それは蛇の総意か』

最後通告とばかりに問われ、翡翠が気遣わしげな目を向けてくる。けれど角宿が答える前に、当たり 前だと笑うような声が割り込んできた。

「「頭領……!」」

ほっとしたように固まっていた弟たちが声を揃えると、のそりと通信室に姿を見せたのはつい先日ま で寝込んでいた天極=臥蛇その人。
角宿は思わず目一杯顔を顰め、何をやってるんですかと声を尖らせた。

「あんたの出しゃばる幕じゃない、病み上がりは引っ込んでろと言ったでしょう!」
「ひでぇ言い様だな」

親父の面子も丸潰れだと苦笑がちにつるりとした頭を撫でて俯いた天極は、けれど嶺皇もかくやとい うひやりとした空気で角宿を睨み据えた。

「角、俺はいつ死んだ」

低い声は怒鳴りもがなりもしないのに、スクリーン越しの嶺皇などよりよほど恐ろしく長兄の身体を 竦ませる。咄嗟に深く頭を下げて場を譲ると、天極はけろっとした顔で笑って嶺皇と対面する。

「家の長兄が言った通りだ、俺が客と定めた相手を誰かに引き渡す気はねぇ。こんなところで空賊を 相手に気前のいい馬鹿を提示してねぇで、他にするこたぁねぇのか」
『……成る程、空羅の取り締まりは強化したほうがよさそうだな』

目を眇めて声を低めた嶺皇に、そりゃやっといたほうがいいと天極も呵呵と笑う。嶺皇は気に入らな いとでも言いたげに眉根を寄せ、大きく息を吐いた。

『ガグルに続いて、玻璃まで敵に回す気か? 蛇とはもっと賢い生き物だと思っていたがな』
「噂に聞く嶺皇は、もっと程度のいい奴だと思ってたがな。他人の女を追い掛け回して戦争まで仕掛 けようとするほどの馬鹿たぁ、知らなかった」
『はっ。それでも、と望むほどの存在に巡り会えてもいない輩の戯言など、如何ほどでもない』

唯一人、何をしてもと自分の手を見下ろした嶺皇の独語めいた呟きに、天極は何故か顔を顰めるよう にして首を捻った。どうかしましたかと角宿が控えめに問いかけると、どっかで見た顔だと思ってな と記憶を辿っているらしい天極に眩暈がする。

「あんた、あれが誰かも分からずに喋ってたんですか……っ」

たまに頭領らしい迫力を見せたと思えばこれかと拳を作る角宿に、嶺皇ってのぁ分かってると苦笑し た天極は、まだしばらく考えた後に手を打った。

「お前、ひょっとして魏晋か!?」
『あぁ?! 俺をそう呼んでいいのは、……貸せ』

ひどく嫌そうに睨みつけてきた嶺皇は、けれど最後まで言葉を続ける前にスクリーンの向こうで誰か に命じた。おずおずと出された書類を引っ手繰るようにして目を通し、改めて目を向けてきた時には 何だか気安げな光が浮かんでいる。

『蛇の頭領、天極=臥蛇ってはお前のことか、天極!』
「フルネームで知っといて、何だその反応」

今更だなと眉根を寄せた天極はけれどすぐに懐かしいなと破顔し、嶺皇もどこか懐かしげに目を細め る。禿げたなぁと語尾を上げた嶺皇と、剃ってんだと即座に反論した天極は、すっかり様変わりして と互いを眺めてしみじみと感じ入っている。
共にすぐには気づかないほど長い時間が経っているのだろうが、気心が知れた昔馴染みといった空気 を漂わせている二人に、何事ですかと角宿が眉を顰める。

「頭領、嶺皇とどんな関係なんですか」
「ああ、そうか、お前らは知らねぇよなぁ。俺が以前いた空賊で、最後の獲物として狩った船に魏晋 が乗ってたんだ」
「それは、頭領が蛇を結成する以前、」
「おう。天狼ともまだ会ってねぇ頃だ」

ひでぇ仕事振りのところだったと微かに嫌そうな色を滲ませた天極に、そこに属してたお前が言うな と嶺皇が笑う。──否、そこにいるのは嶺皇ではなく、魏晋だろうか。いる場所も服装も何も変わら ないのに、彼はもはや皇ではなく天極の友人だ。

弟たちもぎこちなくはあっても動き出せる程度に軟化した態度が信じ難く、天極と魏晋を見比べる。

「頭領、昔は人買いもやってたんすか」

小さい身を尚更縮込めていた虚宿が恐る恐る尋ねると天極は苦い表情をして、まぁなぁと頭をかいた。

「あの頃は船ん中じゃ下っ端で、上の遣り口に異論なんざ唱えられんかったからな。ただそれで嫌気 が差しておん出たんだ、その時偶々逃げようとしてた魏晋と目が合ってな。ついでに持って降りた」
「頭領の拾い癖は、そんな前からだったんですか……」

しかも気安く玻璃の皇太子を拾うとかどういう了見ですかと痛い額を押さえて苦情を呈する角宿に、 天極はまぁそう言うなと長兄の背中を軽く叩いた。

「困ってる奴がいて自分に余裕があるなら、助けてやりゃあいいじゃねぇか」
『俺が言うのも何だが、お前は人が好すぎるだろう。俺の身分も立場も知らないまま助けて、そのま ま行こうとしたくらいだからな』
「何抜かしてやがる、自分が誰かは聞くなって、噛みつきそうに命令してきやがったのはお前のほう だろう」

けれどそれで本当にどこの誰とも聞かず別れたのだろう天極は、魏晋が言うままお人好しも過ぎる。

まさかこんなところで会おうとはなとどこか嬉しそうにした魏晋は、本題に入るかと笑顔のまま少し 身を乗り出させた。

『その天極を相手にさっきの条件じゃ聞けるはずもない侮りだった、許せ。地に降りても空にあって も、変わらず玻璃の保障はくれてやろう。護皇が空にあっても面白い、ああ、新しい法なんぞどうと でもなる。玻璃に害ばかり為してもまぁ、大目に見てやろう。どこの空にあっても他国に手出しはさ せん、この先家族を増やしたところでそれごと纏めて面倒を見てやる。他に必要なことがあれば言え、 考えてやる』

叶う限りは聞いてやるぞと気前よく笑顔で提案してくる魏晋に、天極は声を上げて笑った。

「気前のいいこった。蛇に食らい尽されても構わねぇのか」
『その程度で滅びる国など、俺が作るはずなかろう? 譲葉が手に入るなら尚更、玻璃は滅びるまで 蛇を庇護してやろう』

唆すのは古来より蛇の役目のはずなのに、蛇を唆して闇が笑う。嶺皇と気安く話し出した頃から顔色 を失っている翡翠をちらりと視線で窺った天極は、軽く腕を組んで真っ向から闇を捉えた。

「硝子の足枷なんざ御免被る」
『……本気で言ってるのか。譲葉を手に入れる為なら、天極、お前でも叩き落すのは厭わんぞ』

今の条件で何が不満だと辛うじて笑顔は貼り付けたまま、すっかり嶺皇に戻って吐き捨てる相手に天 極はにやりと口の端を持ち上げる。

「気儘に空を駆れない蛇に、何の意味がある。家族を養うのは父親の仕事だ、他人が口出しすんじゃ ねぇ」

養うと嘯く割にはかつかつの生活はさせられてますけどね、との皮肉は心中に留めた角宿は、何が起 きたのか把握しかねている翡翠の様子を見て笑いそうになる顔を伏せた。

嶺皇の提示した条件が本当に叶えられるなら、飛びつかない者などいないだろう。家族としてではな く客として拾っただけの存在だ、引き渡すのに良心の呵責などほとんどない。
翡翠からすれば空賊に助けられた時点で嶺皇に突き出される覚悟もしていただろう、まさかそれを蹴 り飛ばす馬鹿がいるなんて想像もしてなかったはずだ。

(だから家は、いつまで経っても貧乏なままだ)

皮肉や罵倒なら幾らでも出てくるが、それを諌めようとする愚かも蛇にはいない。呆気に取られてい る嶺皇の様子に密かに笑いを噛み殺している弟たちも、すっかり調子を取り戻している。

『……天極。お前でなけりゃ、今すぐ討伐隊を組んで叩き落しに行くところだ』
「は、空も知らねぇお前が蛇を相手に何をするって?」

ふてぶてしく笑った天極に嶺皇はひどく顔を顰めたが、ぶすっとした顔のまま背凭れに寄りかかり、 足を組んだ。斜めがちにこちらを見下ろし、深く息を吐く。

『久しい顔に免じて、今回は見逃す』
「何言ってやがる、他人の女にちょっかい出してんのはお前のほうだろ。諦めろってぇのが無理な話 なら、せめて蛇にある間、客人に手出し無用だ」

それっくらいしてやれと呆れの色も強く天極が告げると、はぁ!? と身を乗り出させた嶺皇がふざ けんなと柄も悪く噛みついてくる。

『どうして俺がそれを是とする必要があるっ。てめぇ、調子に乗ってんじゃねぇぞ!』
「調子に乗ってんのはお前だろう。青嵐の王を玉座から引き摺り下ろした挙句、世界中から居場所を 奪うなんざやりすぎだ。……惚れた女を諦めきれねぇのは分かるから、一生は匿ってやれんがな。そ れでも助けを乞われたら蛇が拾う、蛇にある間は玉に手出しできると思うな」

それが今回船を降ろす条件だと抜け抜けと提示した天極に、嶺皇はぎりぎりと歯噛みする。拳を震わ せて今にも撃墜命令を出しそうな勢いだったが、しばらく後に肘置きを殴りつけて息を吐いた。

『蛇に従う謂れはない』

噛み締めるような言葉に、けれど天極は一人だけにっと笑った。

「従えなんて言っちゃねぇだろ? 俺はただ、魏晋に頼んでんのよ」

頼むわと気抜けするような笑顔でつらりと厚かましく強請った天極に、嶺皇──魏晋はがりがりと長 い髪をかき乱した。

『何が頼みだ、こっちの頼みを聞く気はねぇくせに!』
「はっはー。お前のはあれだ、命令だから逆らうんだよ。空賊が皇の命令なんざ聞くと思うのか?」

勉強不足だと不敵に笑った天極に、魏晋は相変わらずぶすっとした顔をしたままも長く息を吐いた。

『てめぇの面は二度と見たくねぇ』
「つれねぇなぁ。魏晋なら、たまにゃあ歓迎してやるぞ」

空なら案内してやらぁと笑った天極に、いるかと苦笑した魏晋はちらりと翡翠を一瞥したが何も言わ ないまま通信を切り上げた。

完全に切れたかと心宿に何度も確認した弟たちは、助かったぁと大仰に息を吐いてずるずると座り込 む。情けねぇなぁと息子たちを見回して眉を跳ね上げた天極は、改めて翡翠に向き直って笑いかけた。

「聞いての通り、ずっと面倒は見てやれねぇが玻璃に引き渡す気はねぇ。嬢ちゃんを拾ったら、どこ でも好きなとこで降ろしてやるんで勘弁してくれ」

悪いと頭を下げる天極に、とんでもない! と翡翠は慌てて頭を上げてくれるように頼みながら拱手 して深く頭を下げた。

「まさか嶺皇を敵に回しても庇って頂けるとは夢にも思わず……、このご恩、どうやってお返しすれ ばいいのか」

心から感謝致しますと膝まで突きそうな翡翠の手を取って立たせた天極は、ガキがそんなことするん じゃねぇよと少しばかり嫌そうに言いつけて手を離した。

「死ぬよりゃ逃げるって選択は、俺には好みだっただけだ。──蛇にある間は何があっても嶺皇に手 出しさせねぇ、逃げ切れんと思った時は遠慮なく呼べ」

間に合うかは時の運だがなと複雑な顔で言い添える天極に、翡翠は大きく首を振って再び頭を下げる。

「一時であれ息のつける時間を持てるのだと思えば、それだけで僕たちは前を向けます」

そのお心遣いだけでと泣き出しそうに震えた声がありがとうございますと重ね、柄じゃねぇなぁと天 極は居心地が悪そうに頭をかいた。



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 おと様ありがとうございます!前回のお話の 続きですね。
今回は魏晋さんがコンバート!元の作品とほぼ同じ立場ですが敵にまわるとこんなに怖い人だったとは…(ふるふる) でも全く動じない天極パパの頼りがいプライスレス。素敵です…


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