暗い表情で部屋を出てきた虚宿は、そこでずらりと並んでいた兄弟たちに具合は!? と噛みつくよ うに尋ねられて視線を落とした。

「無事なんだろ!?」
「助かるよな!?」

今にも胸倉を掴んできそうな勢いで問われた虚宿は、薬があったらなと顔を顰めたまま答えた。

「薬って、」

手持ちで足りないのかと不安を隠すために詰め寄りかねない兄弟を制し、角宿が厳しい顔で問う。

「病名は」
「……症状から見て、クグラ熱だ」

躊躇いがちに口を開いた虚宿のそれで、そんな、と悲鳴めいた声を上げたのは張宿だ。彼の故郷では 死病とされているその病名は、知らない兄弟たちの間にも動揺を走らせる。
角宿も聞いたことはあるのだろう、軽く青褪めて拳を作りながら暗い顔をしたままの虚宿に続ける。

「薬があれば助かるのか」
「最近、特効薬が開発されたって聞いた。頭領もできるなら手に入れたいって言ったから調べたけど、 物が出回ってないんだ。今から探して……、手に入るかどうか」

間に合うまでに、と聞こえない時間制限を聞いた気がしてその場の全員が言葉を呑んだ時、唐突に甲 高いサイレン音が船内に鳴り響いた。
一瞬何の音かと眉を顰めたのは、初めて聞く音だったからだ。最初に立ち直ったのは角宿で、心!  と怒鳴るように呼んで振り返った。

「この警告音、まさか、」
「敵襲だ、尾は何をしてた!」
『さっきから連絡してんのに聞いてないのそっちだろー! っ、だめだ、ノイズがひでぇ。手短に言 う、敵艦は一隻、小型のシュイン艦。気づいた時には下に、っ、破られた! あーもーちくしょー、 格納庫から一人、船尾から三人侵入!』

臨戦態勢! と怒鳴るような尾宿の声で女宿は唖然としている弟たちを蹴飛ばして船尾に向かう。そ の場の弟たちの顔触れを確認した角宿は、斗宿に残りの玄武と白虎の半分を率いて格納庫に向かえと 指示を出してから虚宿に振り返った。

「お前は頭領の側についてろ、外からロックする、絶対に出てくるな。中に入ったらカレンたちに連 絡して部屋から出るなの厳命!」
「角、尾からです」

箕宿が投げて寄越した通信機を耳につけた角宿は、早く備えろ! と戸惑った空気を残している弟た ちに怒鳴りつけた。

「繋がってるか、尾」
『今は辛うじて。でも相手、すげぇハッカーいるらしくて限界だってー!』
「心はこっちで戦闘に回す、一人でこなせ」
『分かってるよー! とりあえず船室と倉庫に繋がる扉は全部ロックしてある、そこが最後だ、さっ さと虚を放り込めってー!』

俺もやると主張してくる虚宿を摘み上げたのは箕宿で、邪魔ですと真顔で言いつけると部屋に放り込 んでドアを閉めた。

「襲撃をかけるのは慣れてますが、まさか蛇の城に乗り込んでくる連中がいるとは思いませんでした。 しかも尾が見落とすなんて」

今までは接舷される前に発見して撃ち落とすなり遣り過ごすなりしてきたのだが、今回は頭領が臥せ っていたため注意が散漫になっていたのだろう。音高く舌打ちした角宿は戦闘開始! の切迫した報 告を聞いて船尾に足を向けながら吐き捨てる。

「そもそもを質すなら、無闇に病気になった頭領の責任だ」
「一先ず退けないことには、薬も探しに行けませんしね」

笑うように言い添えた箕宿に顔を顰めたが、何かを言うより早く飛んできた短剣を叩き落した。廊下 に弟たちが詰まっていて、その先で侵入者と剣を交えているらしい。

「銃火器を使わないだけの知恵はあるようですが、どうやってここまで短剣を飛ばせるんでしょうね」
「知るか、後で問い詰めろ。手出しできずに詰まってるだけなら退け!」

一番後ろでおどおどと先頭を窺っている室宿に怒鳴りつけた角宿は、はっとして道を開ける弟たちの 間を縫って侵入者の顔が見える場所まで進んだ。

「おや、また別顔ですか。ぞろぞろと大量にお出ましですね」
「呑気に言ってる暇があるならお前も手伝え、ラグナ」
「私はさっきからせっせと頑張っていますよ? 注意すべきはナビアでしょうに」
「ひっでぇ、レイの兄貴。俺もお役立ち中だってー! ルガオスと一緒にされんのは心外だっ」

日頃の彼らよろしく呑気な会話を交わしながら弟たちをあしらっている侵入者たちの内、リーダー格 らしい藍色の髪と瞳をした男と目が合った。

「蛇の長兄、角宿ってのはあんたか」
「……何の用だ、侵入者」
「は。空賊が間抜けな確認だな、相手がわざわざ乗り込んできた時点で目的は知れてるだろ?」

口の端を持ち上げるようにして不敵に笑った相手に、後ろでラグナと呼ばれた金髪の男性は聞こえが 悪いですねぇと苦笑している。

「俺らは空賊じゃなくて、賞金稼ぎじゃなかったっけ?」

笑うように聞き返したのはナビアと呼ばれた幼い顔立ちの男で、同年代らしい婁宿とやり合いながら 器用に機械を操作していたが、ビンゴ! と指を鳴らした。

「ジェイの兄貴、ここで決定!」

殴りつけた婁宿の肘を外から押し遣って流したナビアは、目の前の壁を何度となく叩いて教える。
まずいとあからさまに反応している後ろの弟たちに溜め息はつきないが、どうやら本気で切りかかっ ている女宿と長剣一つで容易く渡り合っている藍色の男は、呼べと短く合図した。

あいっさー! と楽しげに答えたナビアが、無理やり抉じ開けられたらしく開いたままの扉に向かう。
何の警戒もなく背を向けたナビアの隙を衝いて襲い掛かろうとした婁宿を、軽く蹴り飛ばして遮った のはラグナ。壁に激突して小さく呻いた婁宿を確認して即座に相手をしていた牛宿に向き直り、今ま では随分と手を抜いていた証のようにあっさりと二発の蹴りで沈めた。

「ジェイクス、後ろは片付きましたよ」
「たった二人片付けた程度で、恩着せがましいこった」

鼻で笑うように答えたジェイクスと呼ばれた男は、女宿の振り下ろした剣を受けながらこめかみを狙 って出された足も受け流し、ついでのように残った足を払って女宿を倒すと角宿の鼻先に剣を向けて きた。

「さすがに自分の船で銃火器は使えないか? 火薬に頼ってると、こんな時は負けが込んで大変だな」

挑発するように語尾を上げられ、短気な弟たちの大半はかっとなっている。けれど目の前で女宿が倒 された以上、相手の言葉にも一理あるのだろう。

「張」

武器を使わないならやれるなとジェイクスを見据えたまま呼びかけると、はい、と緊張気味の声が答 えて進み出てくる。けれど角宿の隣まで進み出る前に足を止め、僧正!? と引っ繰り返ったような 声を出した。
ジェイクスも剣を突きつけたままちらりと後ろに視線をやり、呼ばれてるぞラグナ僧正、と笑うよう に仲間を呼んだ。

「どこかで聞いた声だと思えば、ツィチェンさんではありませんか。しばらく見ない間に空賊におな りとは、人生何があるか分かりませんねぇ」
「しばらく見ない間に賞金稼ぎになってる僧正が言うな、って話だけどな」
「、本当にあの、ラグナ僧正ですか!?」

信じ難いと眉根を寄せて確認している張宿に知り合いかと尋ねると、勢いよく何度も頷かれた。

「俺がお世話になっていた寺院で、最年少の僧正として務めておいでだった方です。俺が出る二年ほ ど前に急にいなくなってしまわれたんですが、」
「お前、本気で僧正だったのか」

感心するというよりは馬鹿にするように問いかけたのは、戻ってきたナビアに続いて乗り込んできた 男。長い亜麻色の髪の男は問いかけた割に答えに興味もなさそうで、持ち込んだ機械を壁に繋げて作 業を始める。

「尾、外されるなよ!」
『分かってる、分かってるけど……っ、ちょっと手が足りなさすぎるーっ! 兄貴ー、まじやばい、 まずい、ロックどころかシステムが乗っ取られるーっ!』

ソフィアの手だけじゃ足んねぇ! と悲鳴を上げた尾宿に、隙を見てジェイクスを取り押さえようと していた心宿はちっと舌打ちして踵を返した。

「まぁ、無礼なルガオスは後で粛清しておくとして。久し振りに手合わせでも如何ですか、ツィチェ ンさん」

どれだけ成長されたか見せてくださいと笑顔になるラグナに、張宿は戸惑ったように角宿を窺ってく る。

「どうしましょう、角兄。あの方に一度も勝てた覚えがないんですが」
「体術でか?」
「あの方が、俺に格闘僧になれと勧めてくれた方ですから」
「お前、たまには僧正っぽいこともしてたんだな」

弟子かあれとどこか感心したように語尾を上げたのはジェイクスで、問われたラグナはあなたも大概 無礼者ですねぇと頬を引き攣らせている。
そうして呑気に話している間も、ジェイクスは視線や僅かの仕草だけで後ろの弟たちを牽制している。 いっそ弟のどれかと交換したいものだなと、思わず皮肉に考えるほどだ。

その交換したい中ではましなほうである箕宿はそっと顔を近づけ、発砲許可をと口の動きだけで伝え てきた。視線を追えば箕宿が狙っているのはルガオスと呼ばれた男で、青龍の尻尾たる彼の腕なら確 実に機体を傷つけず相手を撃てるだろう。

けれどやれと指示する前に、牛宿と婁宿を一纏めにしていたナビアと目が合いにんまりと細められた。

「ルガオス、気をつけろよ。あの兄さん、お前のこと狙ってんぞー」
「作業中なのが見えんのか、お前には! 身体を張って守れ!」

まだ手が離せんと手元から目を離さないままルガオスが怒鳴ると、ナビアは冗談だろとげらげら笑い 出す。

「お前如きに身体は張れねぇ!」
「そうですね、艦長ほどに目の覚める美女であってくださらないと助け甲斐もありません」
「はいはい、ジェイの兄貴も艦長に張るほど美人だと思います!」
「野郎を助けても何の得もありませんので却下です」
「相変わらずだな、この似非聖職者」

別に助けられるような事態にもならねぇけど、と苦笑したジェイクスは隙を窺って睨んでいる女宿の 視線も軽く受け流しながらルガオスに続ける。

「そんなわけで、死ぬなら一人で死ね。あ、機械だけはそれこそ身体張って守れよ」
「〜〜っ、貴様ら、俺が今どれだけ繊細な作業をしてると思ってるんだ!?」
「お嬢が代われる程度の作業」

きっぱりと断言したジェイクスの言葉で、ルガオスは思わず手を止めてぎりぎりと歯噛みしている。
けれどすぐに思い出して作業に戻り、いつか殺すとぶちぶち聞こえよがしな愚痴が角宿たちにも聞こ えてくる。

「まぁ、確かに艦長が代われる作業というか、艦長のが迅速かつ的確な仕事になるはずだけどさー。 艦長にお出まし願うと、ちょー高くつくと思うのは俺だけですかっ」
「それくらいはどうとでもなる範囲だが、機嫌が悪くなりそうなのは避けたいところだな」
「それではルガオス、死んでもその作業だけは終わらせてくださいね」

後はお好きなところでくたばってくださいとさらりと笑顔で言ってのけるラグナに、あれが僧正なの かと本気の強さで問われた張宿が複雑な顔をしている。

腹立たしいほど呑気な雰囲気はそれでもどこか彼ら蛇のそれに似ていて、彼らも襲撃相手にこんな風 に苛立って迎えられているのか、と知らず遠い目をして考える。
目の前で今にも荷物を強奪されそうな状況に相応しい思考ではないと思うが、多少の怪我を覚悟して 飛び掛ろうにも衝けるほどの隙がないというのが実際のところだ。

ここが自分たちの船でなくもう少し広い場所であったなら変わったかもしれないが、狭い通路では同 時に飛びかかれたとしても三人が限度で、一番手前にいるジェイクスを一人取り押さえられればいい ところだろう。ナビアやルガオスならば箕宿や女宿だけでも取り押さえられそうだが、張宿が勝てな いというラグナを果たして角宿が一人で押さえきれるだろうか。

(亢がいれば、手っ取り早く片付いたものを)

亢宿・参宿・鬼宿の三人は下手に揃うと時折指示も聞かずに暴走するが、敵の排除という一点に関し ては頼りになった。
けれど前の二人は朱雀の半分と別行動しているところで、鬼宿は操縦室を離れられない。後の武闘派 は格納庫に向けた、その判断が間違っていたとは思わないが圧倒的に手が足りない。

常であれば女宿が何人かの弟を率いていれば、それだけで問題はないはずだったのだが。

(女が膝を突いたのを見るのは何年振りだ?)

未だにその体勢から動かないのは気圧されているのではなく、ジェイクスの気が僅かでも逸れるのを 待っているからだとは分かるが。後の三人と軽口を叩く間も動けないほど、口振りからは想像がつか ないひやりとした空気が弟たちの動きを封じている。

(いっそ下手に長引かせるより、さっさと荷物を引き渡して退却させるか……)

これが普段であれば多少長引いても始末しろと断言できるが、頭領の容態が一刻を争う今、侵略者の 排除に時間をかけるよりも薬を探しに向かいたい。ただこちらにも譲れない点は多く、現状彼ら兄弟 を押さえている侵入者たちがどこまで要求してくるかが読めない。
どこまで交渉できるかと眉根を寄せて思案していると、唐突に角! とスピーカーから切迫した声が 届いた。

さすがにジェイクスの気も一瞬そちらに向き、女宿が彼の持つ長剣ごと強く腕を払った。剣先は壁に 突き刺さり、女宿の膝がジェイクスの水落を掠める。即座に剣から手を離して後ろに避けたジェイク スと入れ替わるようにしてラグナが踏み出し、剣を潜って襲い掛かった女宿をいなして踏み込んだ張 宿の腕を払い、もう片手で拳を止めた。
一度下がって体勢を立て直したジェイクスはルガオスに向かっていた女宿の前に身を割り込ませ、剣 はないままも女宿と渡り合い一先ず張宿がいる場所まで押し戻した。

ふーっと少し長めに息を吐き、やるな、とどこか嬉しそうに笑ったジェイクスに女宿はふんと短く鼻 を鳴らす。

「楽しんでいる余裕があるようで何よりですが、私としては早く片をつけて頂きたいんですけどね」

腕が痺れましたと張宿を蹴りやって体勢を戻したラグナは、わざとらしく左手を揺らして嘯いている。

それを視界の端に眺めながら、角宿は呼びかけてきたのがカレンだと見当をつけて何があったと聞き 返す。
耳に入れた小型の通信機間であれば比較的ましな状態だが、船内の通信機はノイズがひどい。相手が 軽く混乱しているのも手伝って余計に聞き取り難いが、心火ちゃんが! の悲鳴に弟たちは全員反応 している。

『どうしよう、見当たらない! 別の部屋にいると思って確認したんだけど、頭領のところにもいな いって!』
『いるわけないって、頭領病気なのに! 伝染しないけど一緒にいたらまずいだろ!?』

義姉さんたちと一緒だと思ってたのにと虚宿の悲鳴も混ざり、弟たちが軽く恐慌し始める。角宿も咄 嗟に侵入者たちを睨めつけたが、ジェイクスたちは分からなさそうに首を捻っている。

「人質なんて取ったか?」
「そこのお二人にしては、反応がおかしいですしね」
「考えられるとしたら、」

ナビアがぴっと指を立てて何か言いかけた時、きゃー! と甲高い悲鳴が弟たちのかなり後方から聞 こえた。心火! と何人かの呼びかけと一緒に視線をやると、きゃあきゃあと悲鳴を上げる心火をぶ ら下げた黒髪の男がのんびりと歩いてくるところだった。

「さすがに疲れてきたから、もう下ろしていいか」
「いーやぁ!」

もういっかい、と愛らしく強請るのは間違いなく探されていた心火で、さっきの悲鳴は恐怖のそれで はなく歓喜のために上げたものらしい。
めんどくせぇと嘆きながらも黒髪の男は大きく心火を放り上げ、地面にぶつかる前に襟首を掴んで引 き上げている。危ないーっと弟たちはひやひやしたように手を出したげにしているが、心火はそのス リルを楽しんできゃあきゃあと騒いでいるらしい。

男は何が楽しいのかねぇとぶちぶち言いながら視線を上げ、仲間らしいジェイクスたちを見つけて顔 を顰めた。

「何だよ、まだ終わってないのか」
「終わっていないことに関してはルガオスの責任ですので彼が謝りますが、……ナテフォアさん、幼 女を人質にされるとは外道の極みですね」

いっそ清々しいほどの鬼畜っぷりですと笑顔でラグナが言ったそれに、ナテフォアと呼ばれた男は反 論したげにしたが周りの視線に気づき、心火を抱え直した。

「とりあえずまぁ、ここは通してもらう」

後ろも面倒臭いからなとちらりと視線を流したナテフォアは、心火! と手を伸ばす弟たちに下がれ と言いつけてジェイクスたちの元まで歩いてきた。心火は大丈夫か、怖くないからなっと的外れに慰 める兄たちの顔を眺め、にへーっと嬉しそうに笑っている。
どうやら心火にとってナテフォアは片手にした剣を武器に脅してきた侵入者ではなく、遊んでくれる 兄ちゃんの一人、なのだろう。

「えーとさ、手間取ってんのはルガオスのせいでごめんなだけど、兄さんこそ何で幼女連れてきてん の」

遊んでたのかよーと複雑な顔で突っ込むナビアに、しょうがねぇだろとナテフォアのほうが一層顔を 顰める。

「格納庫から侵入したら、目の前にぽつんといてだな。てんきょくがどうのーってやたら泣きそうで、 泣かれたら面倒臭いだろ?」

説明しながら思い出してはっとしたように泣きそうになる心火を見たナテフォアは、だから泣くなよ と声を荒げつつ適当に揺らして持ち上げてと機嫌を取ってくれている。しばらくべそっとしていた心 火はすぐにきゃあきゃあと声を上げて楽しがり始め、もっとー! と強請っている。

「案外、面倒見がよろしかったんですね」
「何で嫌そうなんだよ」

こっちだって好きでやってねぇよと頬を引き攣らせてナテフォアが突っ込んでいるところに、いきな り電源が落ちた。何事かと驚いている弟たちと比べて平然としているジェイクスたちは、長いことか かったなとルガオスに嫌そうな声をかけている。

「喧しい、貴様らではできないことをやってるんだぞ!」
「お嬢なら半分の時間でできただろ」

冷たく吐き捨てたジェイクスが確認しろと指示すると、あいっさーと答えてナビアが倉庫の重い扉を 抉じ開けた。ルガオスと一緒に中に入っていくのをさすがに止めようとしたが、動くなよとナテフォ アが持ち上げた心火を見ると動けない。

「どこまで外道だ、お前」
「うるせぇよ、使えるもんは使っとけ」

視線を合わせないまま吐き捨てたジェイクスとナテフォアに、角宿は小さく息を吐いた。

「システムまで乗っ取られたならお手上げだ、荷物は好きにするといい。だが、心火は返してもらお う」

渡してくれたら全員に手出しはさせないと藍の瞳を見据えて交渉すると、ジェイクスは軽く眉を跳ね 上げた。

「幼女一人と船を交換する気か?」

剛毅な話だなと揶揄するように語尾を上げられたが、角宿に答える気はない。無言で目を見据えてい るとジェイクスが目を細め、何かしら口を開きかけた時にあったよーと後ろからナビアが弾んだ声で 顔を出した。

「AからFまで全部揃ってる。よかったよ、売り捌かれてたら面倒なとこだった」

ほっとしたように笑うナビアの声を受けて、ラグナがにこりと笑顔を向けてきた。

「あなた方が先日襲われた貨物船に、こちらの艦長が依頼した荷物が載っていたんです。空賊として どんな仕事をされようと構わないんですが、喧嘩を売る相手は少々お選びくださいね」

おかげで私たちがどんな目に遭ったことか、と軽く青褪めまでして頭を振ったラグナはけれどすぐに 笑顔を戻し、荷物を運び出しにかかっているルガオスを振り返って視線を戻してきた。

「あれらの荷物は元々こちらの物ですので、返して頂きます。奪った時点で所有権が移動する、とい った主張を空賊の方々はよくされますが……、今回こちらが奪い返したのですからご納得頂けるもの と存じます」

まだ何か論破しなければならないことがありましたかと笑顔のまま聞き返してくるラグナに、弟たち は苦い顔をしているが反論できずにいる。何を言ったところで空に唾を吐くのと同じだ、何より心火 が戻らないことには手出しもできない。

ナテフォアに吊り下げられたままの心火は状況をよく把握できないのだろう、目をぱちくりとさせて 兄ちゃん? と誰にともなく首を傾げた。

気づいたナテフォアはゆっくりと心火を下ろし、そっと手を離した。心火は不思議そうに振り返った が戻れよと苦笑気味に促され、何だかとぼとぼとこちらに戻ってくる。
箕宿がほっとしたように近寄ってきた心火を抱き上げると他の弟たちは途端に色めき立つが、やめろ とそれを手で制した。

「けど角、そいつら賞金稼ぎだって……!」
「俺たちのこと、ガグルに売る気なんじゃ、」

口々に不安を伝えてくる弟たちを角宿が宥める前に、いい案だなと荷物を運んでいたルガオスが皮肉 げに笑った。

「どうやら覚悟もしているようだ、いっそそうしてやればどうだ」
「煩い、ダメオス。無駄口叩いてる暇に運べっての!」
「誰がダメオスだっ」

後ろからナビアに蹴り飛ばされてがーがーと文句を言いながらも運ぶ足を止めないルガオスたちを見 送り、ジェイクスは軽く肩を竦めた。

「賞金稼ぎとして狙ったなら、最初から乗り込んできたりしねぇよ。今回はあくまでも、お嬢の荷物 奪還が目的だからな。ただまぁ、あの馬鹿の言う通りあんたらが大人しくしてるってんなら捕まえる のも吝かじゃないが?」
「「冗談じゃねぇ!!」」

弟たちが声を揃えて吐き捨てたそれに、ジェイクスは楽しそうに声にして笑った。

「ま、今回は荷物だけで十分だ。全部運び終わったか?」
「これでラスト。でもジェイの兄貴、艦長の機嫌が直りそうないい報告が!」

何だと視線だけで促した藍に答えて、ナビアはにんまりと笑う。

「トエイン産のシルクと絹糸、大陸のオレンジ水晶原石拳大がごろごろしてる!」

一年遊んで暮らせるよーと嬉しそうに言うナビアに、角宿は思わず舌打ちした。
前回の獲物の中でも一番の値打ち物だ、他にも絵画などはあったが特に絹や原石などは捌きやすい。 薬を手に入れるためには即座に現金にできるそれらを失うのは痛いが、元より彼らもしてきているこ とだ。慈悲を乞うたところでどうしようもないだろう。

角、と不安げな声は上がるが聞かない顔をしていると、自分たちの船に戻りかけていたルガオスがど わっと変な声を上げてその場を譲った──否、譲らされた、と言うべきか。壁にぶち当たって呻いて いるが誰も気にした様子はなく、代わって姿を見せたのは女性だった。

思わず全員が一瞬息を呑むほど、彫刻めいた綺麗な顔立ち。傲然とした雰囲気を纏った彼女がふらり と視線を向けてきたのを見て、スティラ嬢と井宿が驚いたような声を出した。
スティラと呼ばれた彼女は視線で井宿を確かめ、ああ、とどうでもよさそうな声を出した。

「こんなところで何やってんの、ダルト」
「ダルトって……、量子力学の権威がそんな名前じゃなかったか」
「学会を追われて空賊になったって聞いたけど、本当だったんだな」

へえと感心したように小声で話しているジェイクスたちを無視したスティラは、真っ直ぐ角宿に近寄 ってきた。そのまま無言で差し出された箱に戸惑っていると、苛立ったように眉根を寄せられる。
けれど焦れた彼女が怒鳴るように口を開く前に、箕宿に抱かれていた心火が手を伸ばしてその箱を受 け取った。

「これなに?」
「薬」

短く答えて踵を返した彼女は、ナテフォアに倉庫に向かうように指示している。それから肩越しに振 り返ってきて、幾ら出すとどこか試すように問いかけてきた。
主語のない問いかけに戸惑っていると、ジェイクスが口を挟んだ。

「俺たちの目当ては自分たちの荷物だけだ、それ以上を奪う気はない」
「艦長が今お渡ししたのは、彼女が開発されたクグラ熱の特効薬です。世間ではまだあまり出回って いない、かなり高価な代物ですよ」

言葉の足りないスティラに代わって説明したラグナは、幾ら出されますかと改めて笑顔で問いかけて きた。思わず井宿を振り返って確認すると、珍しく興奮した様子で井宿は何度か頷いた。

「確かにスティラ嬢が開発した薬だ。彼女の研究はナヅク社が一手にバックアップしてて、利権の全 てを抑えている。まだ各国との交渉が上手くいかないせいで出回ってないから、手に入れるなら本人 から買うしかない」

これで助かると心火の持っている箱を熱を帯びて眺める井宿の言葉で、弟たちの顔にさっと歓喜が走 る。角宿も心火の手にある箱を振り返って彼女に戻し、全てをと迷わず断言していた。

「頭領の生命に代えられる物など何もない、望む物があるなら何もかも全て。根こそぎ持って行って もらって構わない」

心から感謝すると拱手して頭を下げると、全員が思い思いの形でそれに倣った。

「何もかもすべて。いい響きですね」
「で、お嬢、どうする?」

まるで答えなど知っていると言わんばかりに問いかけたジェイクスに、スティラは決まってると艶や かに笑った。

「シルクを半分、絹糸は全部。オレンジ水晶は十三個、薬の対価ならそれ以上はいらない」
「勿体なーい! でも予測通りー! てことで、これも一緒に運んどくなー」

いつまでさぼってんだよと腰を押さえて呻いているルガオスを蹴飛ばして楽しく嘆きながら荷物を運 ぶナビアに続いて、重いもんばっかり残しやがってと愚痴りながらナテフォアが出てくる。
荷物がなくなったのを見計らってから動き出すラグナに、そういう奴だよなと呟きながらジェイクス は壁に刺さったままの剣を抜いて片付けた。

「それじゃ、騒がせて悪かったな。今度からお嬢の荷物には手を出さないように、気をつけろよ」

奪われたら奪われただけ取り返しに来るからなと不敵に笑ったジェイクスに促され、スティラも踵を 返したが。

「姉ちゃん!」

頭領の薬ですから落とさないでくださいねと箕宿に言われて箱を大事に持っていた心火もようやく事 態をぼんやり把握したのだろう、振り返った彼女に目をきらきらさせて言う。

「ありがとう!」

天極げんきになるってと嬉しそうに礼を述べた心火にスティラは何度か目を瞬かせ、やがてふわりと 笑った。

「どう致しまして」

僅かに照れたような色を帯びてそう返した彼女は、ジェイクスたちを引き連れて振り向きもせず自分 の船へと戻って行った。


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 おと様「はじまりの月と陽」からの皆様コンバート!です!〈BR〉 お嬢様はやはりどこにいても神々しい…!そしてジェイクスさん達が少数精鋭すぎて素敵です。ルガさん頑張ってついていって!(←え)
そしてやはり最強ひとたらしは心火ちゃんだなあ、と(笑)ありがとうございます…!


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