いつも通りに姉と二人で店の掃除をしていると、そういえばと何か思い出した様子で姉が顔を上げた。

「昨日遅くに、蛇が降りたそうだよ」

僅かばかり冷やかしたような口調で言われたそれで、彼女はぱっと顔を輝かせた。

「そうなの? 何時くらい?」
「あんたはもう寝てたんじゃないか?」

結構遅かったよと、自分から話を振ったくせにどこか面白くなさそうに答える姉を不思議がりながら、 昨日の就寝時間を思い出す。

「昨日は大分遅かったと思うんだけど……、そんな時間によく着陸できたね」

この街は商人の力が強く、街の顔役が認めた商船であればある程度は時間の融通も利く。
ただ姉の言った蛇とは、いつぞや連日テレビを賑わわせた空賊・牙を剥く蛇だ。空から降りたら悪さ はしねぇよと豪快に笑った頭領の言葉のまま無体を働くでもないから顔役たちも締め出しはしていな いが、よほどの緊急時でもない限り好きに発着できないはずだが。

いつからそんなことができるようになったんだろうと首を傾げていると、姉が痛そうに額を抑えて溜 め息をついているのが視界の端に映る。体調でも悪いのと尋ねると、悪いのは機嫌さと苦笑めいて答 えられる。

「あの野郎、本気でVIP権限使いやがった」

ふざけた真似をとぶつぶつとぼやいている姉に声をかけようとしたが、

「フウカ、そろそろ店開けとくれ」

奥から母の声が聞こえて、はーいと答えて出入り口に向かう。

(本当に蛇が着いたら、今日には皆で食べに来てくれるかしら?)

久し振りに元気な姿が見られるかもしれないと思うと、嬉しくて知らず笑ってしまう。今から忙しく なるのにいけないと気を引き締めて戸を開けると、誰かがそこに立っていた。
気づかずぶつかる前に止まれたことにほっとしながら見下ろすと、どこか赤みを帯びた金髪の少女は くりくりの大きな目でじっと見上げてくる。

「こんにちは」

にこりと笑いかけて声をかけると、その少女は目を瞬かせてにこおと笑った。

「こんにちは!」

深々と頭を下げて返す少女に、ご丁寧にと思わずこちらも頭を下げる。後ろからそれを眺めていたの だろう姉が、何やってんのさと声をかけながら近寄ってきた。

「お。なに、迷子か?」

彼女の肩越しに覗き込んでそこにいる少女に気づいた姉が、親と逸れたのかいと問いかけるとふるふ ると頭を横に揺らして握り締めていた拳を突き出してきた。

「ご飯ください」

食べにきたのーと嬉しそうに、自慢げに答える少女に思わず姉と顔を見合わせる。

「へえ、またちっこいお客さんだね。けどお客はお客さ、フウカ、案内してあげな」

いつまでも店を開けたと報告に来ない娘に痺れを切らして出てきたのだろう母は、少女を見て目を細 めながら言いつける。それではっと我に返り、どうぞと中に促すと少女はお邪魔しますとまた頭を下 げてから入ってくる。

行儀のいいこってと笑いながら姉が開店の支度を代わってくれるので厨房に近い席に案内し、椅子に 座らせてあげようと手を伸ばすといらないーと頭を振られた。
大丈夫かなと心配しながら眺めていると器用に椅子によじ登った少女はちゃんと座り直し、何かを期 待するように見上げてくる。

「一人で座れたね」

偉いねと頭を撫でると、嬉しそうにきゃあと悲鳴を上げる少女が可愛らしい。いつもはどんな客にも 平等にぶっきらぼうな母でさえ目元を和ませて、

「それで、何か食べたい物はあるのかい?」

メニューも出さずに尋ねると、少女はきらきらと期待したような目で母を振り返った。

「卵!」
「また、大雑把な括りだね……。あいよ、卵料理ね」

腕によりかけて振舞ってやんなと笑いながら厨房へと声をかけている母に、奥で聞いていた料理人も はいよと楽しそうに答えている。料理ができるまで他にも色々とすることはあるのだが、他に客が来 ないのをいいことに姉までが少女に近寄ってきてぐるりと取り囲む形になる。

「しかしあんた、どっから来たんだい? 一人で来たのか?」
「一人だよ。俺ねぇ、もう一人でもだいじょーぶなの」

お使いもできるよと自慢げに胸を張る少女に、そりゃすごいと母も苦笑する。嬉しそうな少女は見て いて微笑ましいのだが、彼女は不安になって眉根を寄せた。

「でも一緒に来たご家族は、心配されるでしょう? 言ってきた?」
「んー? 言わないー。でも皆知ってるよ」
「こりゃ、本気で言わないで来ちまったのかね」
「けど家が食堂だって知ってたんだ、何れ親もここに来る気だったんじゃないか?」

最悪、特徴を聞いて探せばいいさと肩を竦める姉を見上げて、少女は首を傾げた。

「親いないよー」
「何!? ひょっとして迷子じゃなくてす、」
「姉さん」

小さい子を相手にと諌めると、悪いと慌てて口を噤んでいる。彼女は改めて少女に向き直り、笑いか けた。

「この街には誰と一緒に来たの?」
「兄ちゃん!」
「あ、ああ、兄貴はいるんだ。って、そんな兄一人妹一人じゃ余計に心配してるだろう」

可哀想にとまだ見ぬ少女の兄を思って姉が嘆くと、少女は何だか不思議そうに首を傾げた。けれど何 か言う前にいい香りが漂ってきて、興味はそちらに向いたらしい。

「卵ー!」

ふわふわ? と嬉しそうに問いかける少女の頭には、既に食べることしかなさそうだった。
まぁ、家族がいるならいいさと納得したらしい姉も近くの椅子に座って、何だか微笑ましく少女の食 事風景を見守った。





「それにしても、今日はお客さんが来ないね」

そろそろ昼時で忙しい頃なのにと、少女が出された食事を半分ほど平らげた辺りで何気なく呟くと、 そりゃそうさと姉が笑った。

「この子がどこの子かはっきりしない内に、誰かと遭遇させちゃ不味いだろうから準備中にしといた からね」
「開けてくれたんじゃなかったの?」
「準備はしたけど準備中」

文句がある奴は来なきゃいいと断言する姉に、いつもなら母も鉄拳を繰り出しそうなところだが。賢 明かもしれないねぇと納得しているものだから、いいのかなと流される。
基本的にこの店は、母の機嫌に左右される。開けないと決めれば一月でも平気で開けないのだから、 少女の食事が終わるまで開店時間をずらすくらいは許容範囲なのかもしれない。

などと納得していると、いきなり店の戸が開いた。

「ごめんなさい、まだ準備中で、」
「ああ、分かってるがこっちも急用で、……心火!」

やっぱりここにいたかと安堵の色も濃く息を吐いたのは、件の蛇の長兄。この店には随分と以前から 馴染みの顔なのだが、姉はまるで敵でも見るように睨みつける。

「準備中だって言ったろ、勝手に入ってくるな!」
「それについては謝る、悪い。心火、探したぞ」

本気の殺意を向ける姉をさらりと遣り過ごし──多分、この辺りが姉の気に食わないのだろうが──、 角宿はまだ食事中の少女の側まで行って大仰に息を吐いた。
心火と呼ばれたのだろう少女は何だかきょとんとして角宿を見上げ、口の中にスプーンを突っ込んだ まま固まっている。

心火が固まっている理由は、きっと彼女と同じだろう。いつの間にか分からないが母が肉切り包丁を 手にして角宿に突きつけていれば、普通は固まる。

「母さん!」

何をしてるのと慌てて尋ねるのに、母は角宿に何だか怖い笑顔を向けたままちらりとも視線を向けて こない。

「あんた、娘がいる分際で家の可愛い娘を口説いてたってのかい?」

泣かせたら承知しないと言ったはずだよと底冷えするような声で母が脅したそれに、角宿は思わずと いった様子で吹き出した。途端に母も姉も怒気を漲らせるが、悪いと肩を震わせたまま角宿がひどく 優しく笑った。

「似たような言葉を、以前にも聞いたと思い出した。まあ、頭領の場合は息子だったが」

頭領と同じ道と思うと業腹だなと嫌そうに言いながらも、目許は優しく和んでいる。

「天極と角は同じじゃないよー」

むうと口を尖らせてそれに反論したのは心火で、角宿は突きつけられた包丁と箒──これもいつの間 にか姉が背後で構えていた──を気にするでもなく、心火に手を差し伸べた。

「それは、俺が頭領には敵わないって意味じゃないだろうな?」
「天極と違うー」
「可愛いことを言う口だな」

こうしてやると片手で頭を荒く撫で回す角宿に、心火はやぁんと楽しそうな声を上げて逃げる。しば らくきゃあきゃあと面白そうに逃げていた心火は、食べ終わったのかと角宿に問われて我に返ったら しい。

「うん! ごちそうさまでした、美味しかった!」

すごくとはしゃいだまま声を弾ませた心火に、角宿を睨んでいた二人もつられた様子で目尻を下げて いる。彼女はくしゃくしゃにされた心火の髪を直すように撫でながら、お粗末さまでしたと笑った。

「心火ちゃんって言うのね?」
「心火だよ。姉ちゃんは?」
「私はフウカと言います。はじめまして」
「? はじめてじゃないよー?」

何を言っているんだろうとばかりに聞き返され、思わずきょとんとすると角宿が悪いと断りながら心 火を抱き上げた。

「後でちゃんとつれてくるはずだったんだが、最近は船が着くと勝手に飛び出すんだ。心火、頭領が 心配するだろう」
「でも天極は、いいって言ったー」

天極には言ったもんと口を尖らせる心火に、あのくそ親父と角宿がぼそりと呟く。

「そういえば頭領に聞くって発想はなかったが……、探してるのは知ってるだろうに、どうして言わ ないんだ」
「天極は悪くないー!」

ぺちぺちと叩いて頭領を擁護する心火に、角宿は思い切り深い溜め息をついた。

「そんなに頭領が好きか」
「天極は一番なのー!」
「兄ちゃんは?」
「二番」
「そのトップは俺だろうな」
「兄ちゃんはー、三十人ずーっと二番」

あっちからこっちまで二番と胸を張る心火に、角宿は思わずといった様子で抱いたまま蹲っている。
ふざけた事態だと愚痴った角宿は、それからようやく他に人目があるのを思い出したのだろう。目が 合ったのを合図のように立ち上がり、心火を下ろしてぽんと背を叩いた。

「紹介がまだだったな。妹の心火だ。これでもう弟妹は増えないはずだから、蛇の尻尾だな」
「尻尾? 天極は?」
「頭領は頭だろう」
「じゃあ俺も頭!」
「頭は一つだ。ただの胴体より尻尾のほうが、輪になった時は頭に近いぞ?」
「──なら、尻尾でいい……」

ちえ、とでも続きそうに諦めた心火に苦笑した角宿は、挨拶はと背を押して促した。

「心火です。こんにちは。よろ……よろしくお願いします」

店に入ってきた時と同じように深々と頭を下げた心火に、母と姉はいつまでも構えていた包丁と箒を 下げて目線を合わせた。

「こんな可愛らしい子が蛇かい、まったく世も末だねぇ」
「けど親子じゃなくてよかったね、あんた。これの血を引いたら、碌なもんにならないよ」

あんたは可愛いままでいなよと姉に頭を撫で回され、心火は楽しそうに相手をしている。私も撫でた いと心火の側に行こうとしたが、角宿にそっと腕を取られて少し離れたところに移動させられる。

「角さん?」
「少しいいか」
「構いませんけど、心火ちゃんは」
「ああ、心火がしばらく二人を止めててくれるだろうから、今の内に」

心火の側を離れて大丈夫なのかと問いかけたつもりだったが、見当違いの答えが返る。どういうこと だろうと深く考え込む前に、小さな包みを差し出された。
それを見下ろしてから角宿を見上げると、受け取れということなのだろう、恐る恐る受け取るとほっ としたように角宿の目が和んだ。

「誕生日おめでとう」
「あ。ありがとうございます……、覚えててくださったんですか」
「世話になってる相手の誕生日を忘れるほど、薄情じゃないつもりだが」

苦笑めいて笑った角宿の声に照れの色が強く、嬉しくなって口許を緩めた。

「ありがとうございます、嬉しいです」
「ああ、」
「俺もおめでとうするー」

何か言いかけた角宿を遮るように、とてとてと駆け寄ってきた心火が足にぎゅーっと抱きついてきた。
驚いて見下ろすと抱きついたまま顔を上げた心火が、おめでとうーと一杯の笑顔で祝福してくれる。

「ありがとう、心火ちゃん」

嬉しいわと柔らかく髪を撫でると、自慢げに笑った心火の額にゆらりと赤い物が浮かんだ。え、と思 った時にはざあと鮮やかな深紅が心火の身体を走り、言葉を失くす。
代わりに反応したのは、後ろで心火に逃げられたまま視線で追いかけていた二人。

「火群ら……!」
「はっ、長いこと生きてるけど本物には始めてお目にかかったよ」

綺麗なもんだと口々に感嘆した姉と母は、またしても角宿に向けていた殺意を霧散させて心火を構い 出す。彼女も驚いて目を瞬かせていたが、タイミングがいいのか悪いのかと嘆いている角宿に振り返 った。

「心火ちゃんって、」
「ああ、綺麗な火だろう? 蛇ではすっかり幸運の火だ、……フウカにも幸運になればいいんだが」
「それは勿論!」

凄く綺麗でしたと目を輝かせて頷くと、角宿は僅かに眉を上げて苦笑した。

「まあ、いいさ。誕生日おめでとう」

それを伝えに来たんだから目的は果たしたさと肩を竦めた角宿に、ちょっと首を傾げながらも貰った プレゼントを大事に抱き締めた。

「ありがとうございます、角さん」


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 おと様からお誕生日プレゼントをっ!頂きましたっ!!2010年、これで勝つる!!
とりあえずあわてたり吹き出したり照れたりする角兄さんを想像して打ち上げられた鮭のごとく床をビタンビタンのたうち回ったのはここだけの お話です。(笑) そしてフウカとその家族は、お恥ずかしくも申し訳ない話ですが「角さんの嫁様こんな感じでいかがでしょうか…」と押しつけて しまった設定を使ってくださっています。いわゆるあれですね、その作品が好きで同人やってたら原作者に意見を作品に反映してもらったみたいな。 …喜び死ねということですね、わかります。
1月はお正月に誕生日プレゼントに…これ以上ない幸せなつきでした。ありがとうございます!!


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