時々、賑やかな弟たちの声が耳に障る時がある。強制的に黙らせたくなる自分を堪えるには、荷物を 重ねた奥にできる細い隙間みたいな、普段はない見つかり難い場所に避難するに限る。
苛立つまま暴れるには、少々ここで年を重ねすぎた。

船に乗せてもらってすぐの頃は、癇癪を起こして暴れては角と本気で殴り合い、いい加減にしろと頭 領に殴って止められることが間々あった。角が悪いんだと指を突きつけると、お前が暴れ始めたんだ ろうとまた殴られ。仕返しに蹴ると、本気で蹴り返された。
そのまままた取っ組み合いを始めると、やめやがれと頭に拳骨を食らい。まるで猫の子みたいに片手 に角を、もう片手に彼をぶら下げた頭領が、これ以上やるなら窓から放り出すぞと本気の強さで脅し、 二人してごめんなさいと謝るのが常だった。

とはいえ頭領が小さい子を宥めるように頭を撫でて背を向けると、角の足を小さく蹴飛ばしたり背中 に物を投げられたりはしたが、大喧嘩にならない限りはしゃあねぇ息子どもだなぁと苦笑して受け入 れられた。
同時に息子じゃないと噛みついたが、あれが照れ隠しだったのは今なら分かる。

当時を思い出すと、自分の幼さにふっと口許が皮肉に歪む。今もそう変わんねぇだろと頭領なら豪快 に笑い飛ばしてくれそうだが、振り返って反省できるほどには長じてしまった。

子供でいたいと思うのは、どこまでも勝手な言い分だと分かっている。それでも時折、弟が増えて兄 でいる時間が増えたことに、僅かばかり息苦しさを感じることがある。
今ではすっかり落ち着いて長兄を務めている角を見ると、ああならなくてはいけないのだろうと手本 に思う反面、ああなりたくないと溜め息をつきたくなる。

三人で怒鳴り合い、殴り合い、どうにか家族めいて過ごした時間は短い。けれどあの頃を懐かしく思 うほど、あまりに大家族になってしまった。

その前は、たった一人だったからだろうか。全員が揃って賑やかな時を楽しんでいる自分もいるのに、 こうして無性に独りになりたくなる時があるのは。
それがどれだけ贅沢な悩みかと教えてくれたのも、確かにあの多すぎるほどの家族だが。

片方しか残らなかった目を伏せ、一人でいるのに誰にも気づかれないようにそっと息を吐き出す。
眼帯の下、失くした目が疼くように痛い。吹き出すのを待って、空っぽの眼窩に溜まっている気がす る……。

「兄ちゃん」

隠れん坊ー? と無邪気な声に目を開けると、細い隙間を彼ほど手間取ることもなく楽しそうに歩い て心火が近寄ってくるのを見つけた。一人でいたかったはずなのにその存在だけは何故か許せて、ほ っとしたように口許を緩める。

「心火は一人なのか?」
「俺は一人ー。兄ちゃんは三十人」

何故か胸を張って答えられたそれに、でたらめな数字だなと苦笑して手を伸ばす。
心火を抱き上げて膝に乗せても、そこにいるのかどうかも分からないほど軽い。

「ちゃんと食べてるか? 軽すぎるぞ」
「食べてるー。兄ちゃんにもあげる」

はい、とポケットから出して手に押し付けられたのは、小さなチョコレートの包み。以前は確か、飴 が入っていた気がする。

「魔法のポケットか」
「叩いても増えないよ?」
「そうか? 増えた分を、ポケットの中で誰かが食べてるのかもしれないぞ」

ちょっと意地悪く語尾を上げたのに、心火は怒るでも怯えるでもなく目をきらきらさせて、ぽんぽん と自分のポケットを叩いてはさっと手を入れて確認している。

「いないよー」
「手を入れるのが遅すぎる、心火が手を入れた頃には逃げてるんだ」

くすくすと笑いながら綴るでたらめに、心火はうーんと愛らしく眉を寄せて悩んでいる。

何でも真に受けないほうがいいぞと心中に呟き、貰ったチョコレートを口に放り込む。かなり甘った るいそれは、子供の頃に何度か食べたことがあっただろうか。





確か、最初に嘘をついたのはお腹が減っていたからだ。

今でも裏町ではそうなのかもしれないが、彼が幼い頃を過ごした町では食べるための強盗が多発して いた。なけなしのお金で買ったその日のパンは、買ったその場で一口で食べない限り、買った者の口 に入らないのが普通だった。

捨てられた子供たちは身を寄せ合い、間抜けな大人が通りかかるのを待って集団で強盗に及んだ。中 には捕まって帰って来ない者もいたが、奪った物でその日を凌げる子供たちのほうが多く誰も気にし なかった。
幼い子供にとって、数を揃えるのは絶対の自衛手段だろう。分かっていたのに、物心がついた頃から 彼はその町でたった一人で生きていた。

別に、誰かに邪魔にされたのではない。子供たちの中に気に入らない者がいたのでもない、そこまで の付き合いもなかった。
誰かの側にいる自分が気持ち悪くて、そのくらいなら一人でいようと思い、実行していたまでだ。

だが、今思えばよく生き延びられたものだと思う。

(運がよかった……、悪かったと言うべきか?)

多分、悪かったのだろう。運がよけれはばもっと早く捕まり、この暮らし難い世界からも早々と退散 できていたはずだ。けれど彼は頭領に会うまで誰かに捕まるような下手を打ったこともなく、空腹を 覚えても飢え死にするほど食うに困ったこともなかった。

固まっている子供たちは相手にしなかったが、集団を抜けるほど成長し、獲物を見せびらかしに来る ような馬鹿には事欠かなかったから、その相手から食料を巻き上げたのだ。
──否、巻き上げるというのは語弊があるだろうか。力尽くで奪い取るような無粋な真似は、一度も したことがない。その頃から頭と口はよく回ったため、舌先三寸で丸め込んだというほうが正しい。

そして彼がさほど危険な目に遭わず長く過ごせたのは、自分に課したルールをよく守ったからだ。

同じ相手は二度と引っ掛けず、似たような手口は続けない。一つの場所にあまり長く留まらない。
裏社会に繋がりがありそうな危険な相手には近寄らず、相手によって手段を変えても暴力には頼らず、 言葉だけで渡り合う。

それを守るだけで、彼は十五の町を転々とすることになったが大きな危険もなく無事に過ごした。

(……生意気で、周りの見えていないただの子供だ)

そう思えるのは、今になってからだ。あの頃は、思い出すだに口の中に苦い物が広がるほど、恥ずか しいくらい粋がっていた子供だった。

最初の町を出てから数年、最後になった月暈の東端の町に辿り着いた頃。自分で決めたはずのルール は、既に守る価値のない物になっていた。
ちょっとした嘘を並べるだけで、何でも思い通りになる。そうして調子に乗った子供は手酷い間違い を犯すと知らないほど、幼かった。

どこにでも存在する裏町は騙す相手こそ事欠かなかったが、そこで得られる食料に満足できなくなっ た頃。うっかり迷い込んだ老婦人を騙して見事に成功し、完全に調子付いた。
今まで慎重に相手を選んでいたことも忘れて手当たり次第に騙し始め、とんでもない相手を引き当て たのだ。裏社会に属していても、ただのチンピラだと思っていた。まさか顔役の馬鹿な三男だとは知 らず、いつも通りに適当な嘘を並べて一日分の食料が買えるかどうかの僅かの金を手に入れた。

そろそろこの町も潮時だと思っていたから、かなり適当な嘘だった。当然ばれるのも早く、捕まえろ と手を回されるのはもっと早かった。十分な食事を取ってそろそろ町を出ようとしたところを発見さ れ、裏道に引き摺り込まれるやリンチが開始された。
せっかく食べたばかりの食事を全部もどし、血を吐くまで蹴られ続けた。それでも気がすまなかった 騙した相手がナイフを持ち出し、ああ、ここで殺されるのだなと覚悟さえした時。

がき相手にみっともねぇなぁと、低い声が届いたのだったか。





「天極ー?」

のんびりとした問いかけに、ふっと口許を緩める。

「ああ、我らが偉大な親父様だ。その馬鹿を騙した前日のカモが、頭領だったんだが。話を聞いた角 が一発は殴らないと気がすまんと、探し回っていたらしい」

恐ろしい執念だなと笑いながら告げると、すぼしー、と心火が何度か頷く。
思わず声にして笑い、心火の髪をくしゃくしゃと撫でた。柔らかな細い糸が、指に絡まる。

「結局、俺が馬鹿に目を抉られている間に頭領と角が回り全員をのしていて、俺の出番はなかった。 今ならあんな馬鹿ども、素手でも負けてやらないんだが」
「あみは、強いお坊さんだから」

強いねぇとほわっと笑う心火に、泣きそうな顔を隠したくて苦笑した。

「そう、俺は千の軍を率いる隊長だからな」

どんなでたらめも信じてくれる心火をぎゅうっと抱き締め、まだ嘯く。
嘘をつく必要のない場所、心火には必ず与えたい世界は天極が彼にくれたもの。

「兄ちゃん? 目、痛い?」

泣いたらだめーと少し困ったように、温かい小さな掌を眼帯の上から押し当ててくれる心火に、泣く わけがないだろうと抱き締めたまま笑う。

「頭領には感謝している。厄介の種ばかり望んで拾うような人だが……、子供でいたいのが我儘だと 思わせてくれる環境を与えてくれた」

子供でいたいと望めるのも、それが我儘だと自覚させてくれるのも、この環境が何より亢宿に優しい からだ。煩わしい弟たちの声さえ、あの頃は自ら離れ、手に入らなかった望んでいたもの。

「痛いのない?」
「ああ。知っているか、こうして痛いところに手を当てて治す方法を、手当てというんだ」
「てあて」
「そう。心火は優秀な医者だな」
「とみてよりー?」

わくわくと尋ねられるそれに、勿論だと頷く。

「心火は俺の妹なんだからな、誰より偉いに決まっている」
「あみよりー?」
「……痛いところを突くようになってきたな。だがしかし、兄ちゃんはまだ心火には負けられないっ」
「じゃあ俺は三番ー」
「うん? いきなり殊勝な数字だな」

二番でいいだろうと問いかけると、心火がぶんぶんと大きく頭を振った。

「一番はー、天極!」

だからだめーと嬉しそうにはしゃぐ心火に、感謝と殺意はどちらのほうが重いのだろうかと真面目に 考えたくなる。
それでも、この泣きたくなるほど優しい場所で小さな手当てを受けられる間は、時折詰まる息を抜い てまた兄の顔には戻れそうだった。



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 おと様より頂きました。亢さん…!
相変わらず暑苦しく送りつけてしまった妄想絵に連動するようにこんな素敵なお話を聞かせていただきました。 はー、亢さんの軽口の裏側、こっそり垣間見させていただいた感じです。
心火ちゃんが自分を偽る必要のない場所、すでに天パパとお兄ちゃんお姉ちゃんたちの手で与えてあげられて いると思います。願わくばこれからも永久に。素敵創作ありがとうございました…!


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